掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇 (本篇U)
北村 香織
第4日
3月19日(月)晴れ

5:00起床。睡眠効果かそれとも温泉効果か、けっこう復活。でも足の側面がかゆい。またアセモかな?赤くかぶれている。左の踵にもマメみたいな水疱みたいのができていたので、手当てして出発。送迎バスの運転手さんにゲートまで送っていただく。昨日何度も顔をあわせた男の方もご一緒に。運転手さんはとっても好い方で感謝。昨夜泣いたゲートの脇でパッキングし直していると、ひとりのお遍路さんが「トラブってるんじゃないよねー?」と声をかけて下さる。7:25再UP。

佛坂ルートを迷わず取る。思ったよりもきつくない。岩不動の手前で、休憩中だった朝声をかけて下さったお遍路さん(以下、お不動さんとする)にバッタリ。私がこちらのルートを来ると思っていなかったそうで、不意に現れたことをとても驚かれた。この方はお不動さんと縁が深いらしく、一緒に岩不動さんを拝んだ後、自然と同行になる。お仕事を退職されて、ご先祖様が通られたお四国のみちを歩きたいと1番からまわっておられる。お話を聞けば聞くほどとても深い方(とは抽象的だけれど、心理的に)というのが解り、セラピストの資質という点から学ぶことが多々あった。スーパーの近所で主婦の方が桃の天然水を私たちにお接待下さる。久しぶりの(気がする)甘さが身体に沁みわたっていく感じ。彼の師の言葉「念ずれば花ひらく」を教わり、私もすっかり感じ入ってしまった。

少し早いがそろそろ昼食を何処かで…と言っていたら、向かいの信号待ちの二人とお不動さんが同時に声を上げ、渡ってこられた二人と抱きつかん勢いで話が始まった。このお二人は兄弟で、やはりお四国をまわられており、お不動さんとはずっと同行されていたらしい。途中で別れたのがここでの再会となった。ちょうどここが地元のお二人は、お彼岸のお墓参りで遍路を休暇中なのだそう。道の駅までご一緒して、このお二人に結局お昼をご馳走になってしまった。先に席を立たれたお二人にお礼を言って、私は今夜の宿探し。お不動さんの宿泊先に電話してみると予約が取れた。12:00 UP。お手洗いに寄っている間にとっくに先を行かれたと思ったお不動さんが、橋の真ん中であのご兄弟と話し込んでおられた。ちょうど遍路みちの横にご兄弟のお家のお墓があり、そこまでまた4人連れ立って歩く。たこ焼きをお接待で下さって、本当に何の関係もなかった私までこんなにお世話になってありがとうございました。お名前も存知上げないけど、どうかこれからの道中よい旅でありますように…。 山越えの前にたこ焼きでおやつ。不思議な竹林がある(と後で知った)焼坂峠越えはけっこうきつかった。が、高度を稼いで行くときに、真っ青な空と春の野山の匂いが清々しく、この道を歩かせてもらっていることが自然に有難いと思えた。これはその直前にきっと、お不動さんがお話し下さったことが利いているのだと思う。この辺から私たちの心理的距離がぐっと近づいた感があった。お不動さんも夢の話や、ユングの概念である共時性とかコンステレーションに通じるエピソードなども話して下さった。そのせいか、思いつきで遍路を始め、それが引金になって先行研究のない分野での難しい研究に足を突っ込み、しかもセラピストという重い仕事を志す私は(ひょっとして前世か何かで業が深いのではないか)と以前から漠然と思っていた。そのことを口に出してしまい、そしてそれをお不動さんは明るい表情で、でも力強くやさしく「それは絶対ないよ。お四国はね、お大師様に呼ばれた人しかできないんよ。ご招待を受けた人だけがね。あなたはきっと、そういう研究をすることがお大師様から与えられた宿命なんじゃないかなあ」 松山弁でそう言われて、ひょっと気持ちが軽くなった。そして、今までいくら遍路をしても日常と非日常(四国)とが分離してしまう、また「お大師様」とか「仏」とか何かことばにしてしまうと全然違ってしまう、その抵抗みたいなものを感じていたのが、自分の中ですうっとひとつに合わさったような、そんな感じが確かにあった。

16:00大谷旅館着。素泊まりでお願いしたので、先にスーパーで買い物を済ませてきた。この辺の名物?コンニャクいなり寿司(お揚げさんの代わりに柚子コンニャクが袋になっている)とこれまた初めて見るグレのたたき。グレをゲレと読み違えて店の人に聞いてしまった。また大ボケ。ま、グレも知らなかったけどさ。早速お風呂をいただいて、お洗濯させてもらう。大好きな二層式。絶対こっちの方が時間的にも物理的にも経済的。(でもやはり最中の手間に負けて全自動使ってるけど。) お庭の椿も、外の商店街も浴衣も、み〜んな懐かしい気がする…。20:30就寝。

本日の歩行距離: 23.4km(11592歩)
四国遍路目次前日翌日著者紹介