掬水へんろ館談話室
掬水へんろ館遍路トピックス [2003.4.26]
鎌大師堂の手束妙絹さんが引退
by くしまひろし

    愛媛県北条市にある番外霊場・鎌大師堂の庵主・手束(てづか)妙絹(みょうけん)さんが、満94歳の誕生日の2003年4月30日をもって引退されることになりました。

    手束妙絹さんは、1909年(明治42年)生まれ。幼い時期を台湾で育ち、その後、東京や名古屋に暮らし、結婚・出産を経て、終戦後、身一つとなられました。パキスタンの紡績工場などで働いた後、熱海のマンションに移り住み、お茶やお花の先生をしながら、好きなときに温泉につかるという生活をしておられました。たまたま参加した小豆島遍路で四国遍路に興味をもったことから、本四国を歩くことになり、毎年歩き遍路で巡ること15回。そうして1979年(昭和54年)、70歳になろうというとき、縁あって、鎌大師堂の庵主となられたのです。以来、訪れる遍路たちの話を聴き、あるときは共に悲しみ、あるときは諭しながら遍路を見守ってこられました。いわば「現代歩き遍路の大先輩」ともいうべき存在です。

    遍路中や、庵主となられてからの様々な人との出会いは、その著書『人生は路上にあり』、『お遍路でめぐりあった人びと』、『堂守日記 花へんろ一番札所から』などに語られています。

    鎌大師堂は、53番札所から54番札所に向かう途中にあり、車遍路の人々は、ほとんど国道196号を走り抜けてしまいますが、歩き遍路のかなりの人が、手束妙絹さんにあこがれて、一目会いたいと思い、丘を登って、この鎌大師堂を訪れてきたのです。

    手束妙絹尼
    手束妙絹尼(1998年8月)

    僕は、これまでの2巡の遍路で、幸いなことに2度とも手束さんとお会いすることができました。1度目は1998年夏、酷暑の区切り打ち1日目で、ちょうど大師堂でお祭りがあった翌日にあたり、お疲れの様子でしたが、「余り物だけど」とサイダーをご馳走になりました。「こんな暑い時期に歩くのは体に毒だよ」と諭されたのを覚えています。2度目は、妻と歩いた2001年12月末。暮れも押し詰まり、地元のお茶やお花のお弟子さんたちが集まっておられる中、貴重なお時間を割いてお茶やお菓子のお接待を頂きました。

    手束さんはお遍路さんとの触れ合いを次のように記しています。


    「お四国巡りのお遍路さんに『お納経』を書き、身にかなうかぎりのお接待をし、ひとり歩きの行き暮れたお遍路さんには、一宿一飯のお善根をさせていただく。『尼さんになりたい』と泣いて訪ねてくる遠方からの人にも、ただ一緒に泣いてあげるしかできない。そんな私に心足りて、『また来させてください』と涙に洗われてか、少し晴れて帰ってゆく人。

    出典: 手束妙絹『堂守日記 花へんろ一番札所から』(1994年、佼成出版社、p.2)

    最近の例では、石山未已『幸せはどこにある』に、白血病の告知を受けながら歩き遍路を続けた著者が、手束妙絹さんとの出会いを通じて、自分を取り戻していく様子が描かれています。


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