| メールボックスから |
| 99.1.10 小松 幹さんのメール |
小松さんは1997年の5月の連休から歩き遍路の区切り打ちをされています。1998年11月末に「年末年始に37番から43番まで歩く予定だが、気を付ける点とか台風の影響はどうか」というお問い合わせを頂き、分かる範囲でお答えしたところ、年が明けて1月10日に次のようなメールを頂きました。
串間様 昨年遍路道等について問い合わせた者です。 計画通り、12月25日の夜行フェリーに乗り第4回目の区切り打ちに 出かけました。無事37番から43番まで打つことができました。 そして、2日の夜自宅に戻ってきました。 今は毎日その時の資料の整理やら日記の作成に追われています。 今回は、殆どの遍路道を歩くことが出来ました。 ひしお浜、以布利の漁港からの寂しい岩浜の遍路道は 串間さんの日記を読んでいたので安心して歩けました。 今回のお遍路は、冬場なので余裕を持った行程だったので 宿に12時30分、13時25分、12時45分、13時50分という様に 少し早すぎるくらいの時間に着いてしまいました。 今から考えると少しもったいなかったかなとか、44番まで行けたかな と思ったりもしています。 今回の遍路で会ったお遍路さんは、歩きの人が9人、自転車の人が2人でした。 大きなスーツケースを転がして歩いているお遍路さん、台車に大きな犬を乗せて 歩いている夫婦のお遍路さん、お堂に野宿しながら逆打ちしているお遍路さん 等少し変わった?お遍路さんもいました。 また、安宿で一緒だった奈良から来ているお遍路さんは串間さんの日記をコピーして 持っていました。今年はホームページを開設すると言っていました。串間さんの お遍路のリンクで読んだ歩き遍路の先輩方の話が共通話題となり話が弾みました。 これも、串間さんのおかげです。今回残念だったのは、足摺岬の西側を土佐清水まで行き 以布利に出て安宿に2泊したのですが、松尾小学校からの遍路道が分からなかったこ とです。 後で逆打ちしているお遍路さんに聞いたのですが分岐には標識が無く奥の方にあると のことでした。 ここだけが、遍路道を歩けませんでした。 旧国道松尾トンネルへの分岐と中華料理屋の位置関係 43番への高校へ左折してすぐ右折する道等 串間さんの日記で知っていたので追認する形で歩くことが出来ました。 国道、県道等からの遍路道に関する情報提供の場があれば助かるなと思っています。 串間さんはどうですか? 第5回目の区切り打ちで、5月に43番から出来れば77番位まで打ちたいなと思っています。 5月は暖かいので、1日10時間35kmから40kmで計画しようと思っています。 ただ、連休中の遍路宿の混雑状況が分かりません。いつもは当日の11時頃に 電話で予約しているのですが。どんなものですか? 今回は、気温も暖かくお遍路道も整備されてて気持ちよく打てました。 まずは報告まで。 注 お遍路ニュースを毎週楽しみにしています。 小松 幹 |
| ご返事 |
小松様
お便りありがとうございました。
ホームページの情報やメールでのご返事が多少なりともお役に立ててうれしいです。ずいぶんたくさんの出会いがあったようですね。
松尾小学校からの遍路道が分からなかったということですが、うっすらとした記憶では、この辺かなと入って行ったら道しるべがあったような気もします。要注意ポイントですね。遍路道に関する情報は「保存協力会」の道しるべに頼るのが大部分で、年間を通じて維持管理できる水準にも限界があるでしょうから、ところどころ漏れが出るのは仕方のないことかもしれません。ホームページを通じてそうした情報も交換できるようにしたいものです。
5月の連休中の宿の状況ですが、私の昨年の例でいうと、45番近くの古岩屋荘が満室、また近くのでんこ旅館や富士旅館もラグビー部の合宿が例年あるとかで満室だったりしました。早めに電話しておいた方がよいと思います。
| 99.5.16 小松 幹さんのメール |
ゴールデンウィークに43番から80番まで歩かれた小松さんからお便りを頂きました。
拝啓 串間さん、こんにちは。 3年がかりの結願おめでとうございます。 串間さんは、GW中、4月29日から5月5日まで75番から高野山まで打たれましたが 私も、長めの休暇を取り、4月24日から5月4日まで43番から80番まで打ちました。 今回は天候に恵まれ、5月4日だけが雨でした。 6期目の日記を楽しく読まさせて貰っています。 今日読みました幸荘の記事で、夫婦の僧侶の話がありましたが 私が5月1日に民宿岡田に泊まったとき、前の晩に夫婦の僧侶が泊まった と話をしていました。奥さんがものすごく綺麗な人だったとのこと。 たまたま、その時通し打ちしている若い僧侶が泊まっていて、 その僧侶に宿のおばさんが、あなたもあのような綺麗な奥さんを貰わないと駄目だ と言ってました。僧侶は、その人の顔も知らないので何とも言えない と返事をしていました。 今回は43番から瀬戸内海沿いを歩きましたが、徳島、高知を歩いたときは、 宿の夕食で肉が全然出ないため、区切り打ちの後半は肉が食べたくなりましたが、 今回は、たまたまなのか知りませんが、いつも夕食に肉が充分すぎるくらい 出ました。お遍路でも、関係なく肉が出ました。文化が違うのですかね。 今回初めて10日間以上歩きましたが、後半は手の甲が日焼けで 歩いていて手が焼けるようでまいってしまいました。 日焼け止めとか手甲の必要性が分かりました。 また、今回は、歩いていて、串間さんは今頃何処を打っているかとか思いながら歩い ていました。 私も8月か9月に6回目の区切り打ちで結願しようと思っています。 また、分からないことがあればお尋ねしますので その節は、宜しくお願いいたします。 注) 串間さんは、2巡目の計画はおありですか? インターネットを通じて知り合いが増えるのは羨ましいですね。 では、また。 小松 幹 |
| ご返事 |
小松 幹 様
お便りありがとうございました。
小松さんも、結願間近まで歩かれましたね。
> 今日読みました幸荘の記事で、夫婦の僧侶の話がありましたが
> 私が5月1日に民宿岡田に泊まったとき、前の晩に夫婦の僧侶が泊まった
> と話をしていました。奥さんがものすごく綺麗な人だったとのこと。奇遇ですね。きっと早川さん夫妻と思われます。前の晩というと、私が幸荘に泊まって早川さん夫妻の予約の電話を横で聞いていた晩になりますが、民宿岡田から幸荘まで1日というのは歩きでは無理ですよね。車で回られていたのか、それとも民宿岡田のお奥さんの勘違いか、謎は残りますが…。
> 今回初めて10日間以上歩きましたが、後半は手の甲が日焼けで
> 歩いていて手が焼けるようでまいってしまいました。
> 日焼け止めとか手甲の必要性が分かりました。実感ですね。手っ甲というのは単なる伝統的な衣装のように思っていましたが、親指の付け根から手首のあたり、ほんとにそこが集中的に焼けるんですよね。
> 串間さんは、2巡目の計画はおありですか?
いつになるか分かりませんが、今度は、別格番外を含めて回ってみたいと思っています。
| 99.8.8 小松 幹さんのメール |
5月に続いて、8月初めに80番まで歩かれ、2年余りで結願された小松さんからお便りを頂きました。
拝啓 串間様 8/2〜8/6で予定通り、80番〜88番、10番〜1番、 8/7には高野山奥の院、金剛峰寺にお参りしてきました。 遍路ニュースにもありましたが、 法輪寺のお接待所でおいもと麦茶をお接待になったとき おばさんが、吉野川の沈下橋は渡れないので 10番から11番へ行くには一端戻らないと行けない と言ってました。中央橋まで戻る? また、82番から83番へ行く遍路道で香東川を渡る 沈下橋も壊れていて通行止めとなっていました。 小生は幸荘のおばさんに教わった道で行った。 夏の遍路で経験したことは 1.お遍路道を歩いていると、直ぐに蚊が顔の廻りに寄ってくること。 2.雨でポンチョを着ましたが、本当に蒸れること。 春、秋、冬はこれほどではなかった。 3.81番から82番の尾根道は、木々に覆われ 道はじめじめしていて、湿度が高く蒸れるようでした。 夏はハイキングには適さないと思いました。 女体山越えが、これほど大変だったのかとびっくりしてしまいました。 岩を登るときには、後方を振り返るのが恐ろしく、 慎重に三点確保で登りました。焼山寺への遍路ころがしに次ぐ 大変な登りのように感じられました。 雨でも降ったら非常に危険な遍路道ですね。 88番から10番への道は、新しくなっていますが 相変わらず大型ダンプの往来がものすごいです。 砕石場があるからだと思います。 今回80番から88番までの歩き遍路中、歩き遍路には 福岡からの女性遍路1名にしか会いませんでした。 このお遍路さんとは、81、82、88、1番で会い、高野山 では、すれ違いの電車でも会いました。 向こうが帰りで、こちらが行きで。 しかし、10番から1番では10名以上の歩き遍路に会いました。 皆、遍路装束も真っ白でピッカピカ、杖も新しくて 見ていて気持ちがいいですね。 ただ、高知県は大雨なので、少し心配です。 串間さんの日記をコピーして行ったので助かりました。 81番の自衛隊の古田厩舎の所や88番の直進して下る所等 本当に分かり難いですね。 これから1〜2週間で資料整理をしようと思います。 ではまた。 敬具 |
| 2000.1.8 小松 幹さんのメール |
1999年末に2巡目の遍路に入られた小松さんから頂いたお便りです。
拝啓 串間さんが2巡目のお遍路に出かけたことを遍路ニュース65で知りました。 私も、昨年の23日から30日にかけて阿波一国巡りをして来ました。 今回は、1番から23番、番外霊場1番から4番を歩きました。初日、2日目は 四国でも例年にないくらいの寒さと言うことで、田圃や道路の水たまりは 氷が張り、大山寺、焼山寺の境内には数日前に降った雪が一部融けないで 残っていました。この季節はお遍路のオフシーズンのためか、同宿した歩きの人は 初日の寿食堂で1人(金沢の人)、6日目の龍山荘で1人(横浜在住7年目の ドイツ人女性)の合計2人でした。道であった歩きの人も、逆打ちをしている人が2人、 焼山寺の下りで追い越した、前夜焼山寺の通夜堂に泊まったという40kgのリュックを 背負っていた学生風の人、納経所や宿で聞いた歩きの人5人 全部で10人でした。 今回7泊しましたが、3泊は同宿者がいませんでした。 一巡目の時は、鯖大師までは同行二人の本をもっていませんでした。 今回は、遍路道を間違わずに歩くことができました。 今回番外霊場等を歩いて気が付いたことは(串間さんも歩いたことと思いますが) 1.大山寺 神宅小学校の所から大山寺への道が分岐していること。(そばの洋装店?で道を聞 いた) また、そこから100mから200m?歩くと直角に右折すること。 (そばの民家の人に曲がるところを聞いた) この、2カ所が地図では良く分かりませんでした。 あとは道なりに行くだけ、途中大山寺の標識があり、右に雑草多しの遍路道が あります。 2.童学寺 童学寺バス停にへんろ表示がありますが、(尾崎さんの日記にもありましたが) トンネル工事で下るはずの斜面が削り取られていました。しかし、休日でまた 朝も早かったので、土の急斜面を杖を突きながら下ることができました。 (本当はいけないことだと思いますが、時間短縮のため無理をしました) 私は宿に荷物を預けてきたため、再び同じ道を戻りましたが、納経所の 住職が言うには、童学寺から大日寺へ行く道があるとのことでした。 (深くは聞きませんでしたが) 3.慈眼寺 16号を直進し、新坂本トンネルを通って直ぐに右に入る道があり (最初分からないで、そのまま16号を歩いていき、道が下っているので 変だと思い、車を止めて道を聞いた)その道を歩いていくと小さな橋があり、 渡って左に行くと(ここで、散歩中の人に道を聞いた)、少し歩いていくと 車庫がありそこを左に新しい舗装道路があり、道なりに行くと民家の塀沿いの 道になります。(近道になると教えて貰った)あとは、道なりにお遍路の 札が時々木に掛けられていたり、矢印の表示があったりして間違うことはないと 思います。滝を見るほどの余裕がなかったのが残念です。 また、横瀬橋を右折して、鶴林寺への道を行こうとしたのですが、結局道を間違って しまい、生名の方から行きました。 串間さんがもし、横瀬橋の方から行かれたのなら、教えて下さい。 (3巡目の時には、その道を行こうと思いますので) 4.今回経験したこと 柳水庵でお茶菓子のお接待をして頂いたこと。 (宿泊しようとしましたが、残念ながら宿泊はやっていませんでした) ご夫婦の優しさに触れることができました。 冬は汗をかくことがなく、体力の消耗も少ないことが良く分かりました。 1巡目の時は、5月に焼山寺の遍路ころがしを歩きましたが、水分を 2リットル補給しましたが、今回は300cc程度で済みました。 また、時間も4時間で藤井寺から焼山寺に着きました。 串間さんの2巡目の日記を楽しみにしています。 本来ならば、年始も歩きたかったのですがY2Kで31日、1日は 自宅待機(出社は免れましたが)となり、30日で終了としました。 敬具 |
| ご返事 |
小松 幹 様
お便りありがとうございました。
私は、1月2日から9日まで、今度は妻と二人で23番まで歩いてきました。
1日だけ雨に降られましたが、ほかはおおむね天候に恵まれ、小松さんと同じように、他の季節と違って発汗も少なく、快適な旅になりました。宿では、関東近県から来た何人かとそれぞれ一緒になりました。最終日には薬師会館でオーストラリア人と同宿になり、カタコトで英語で会話しました。2巡目にあたり、ぜひ別格霊場を含めたコースをとりたかったのですが、休みの都合と、特に宿の都合上から、正規札所のみのコースになってしまいました。以前に高知を年末年始に歩いたときは、宿の苦労はありませんでしたが、今回は休みのところが多く閉口しました。また慈眼寺の穴禅定は冬場は案内人が休みなので、初めての人は無理と言われました。でもなるべく初回とは日程をずらして違った宿に泊まり、食も楽しみながら、妻を「遍路の道」に引き込むことに努めました。うまくいったかどうかはまだ分かりませんが…
ところで、別格霊場の道案内ありがとうございます。別格札所をお参りする方々の貴重な情報となるものです。