掬水へんろ館談話室メール
掬水へんろ館メールボックスから

大阪府茨木市の久岡恒則さんからのメールです。

なんとなく遍路という言葉に引かれて、歩き始めた大阪府茨木市の久岡恒則からのメールの第四弾が届きました。2006年7月、暑さにご苦労されたようです。

2006.08.13 久岡恒則さんからのメール

色々な事情が重なり、前回のお遍路から1年半も経ってしまいました。 先週久々にお遍路に行くことができましたが、軽い熱中症にかかりあえなく途中でリタイアしてしまいました。

7月27日(木)

今朝早く出発するつもりだったが、仕事が片づかず、結局昼過ぎに会社を出た。昨晩は夜中近くまで会社で仕事をし、今朝も5時半頃家を出て会社に来たので、ほとんど寝ていない。
頭は働いていないが、今日明日と休暇をとるため、なんとか仕事を終わらせた。
一旦家に帰り、市役所に回って私用を片付け、茨木駅の緑の窓口で17:00発、高知行きの飛行機の切符をとって3時半過ぎに茨木駅からタクシーに乗った。南茨木駅で大阪空港行きのモノレールに乗り、「同行2人」を調べて、マナー違反ではあるがモノレールの中から民宿「うらしま」さんに携帯で電話して今夜の宿を確保した。
今夜の宿が決まって、やっと少し落ち着くことができた。
去年の2月に室戸を回ってから1年半もたってしまった。この間色々なことが重なり、とてもお遍路に行けるような状況ではなかった。今年の2月には父を亡くした。しかし、1年がかりの仕事も、ほぼ片付き、ようやく2日間の休暇を取ることができた。昨日から今日にかけての忙しさは多分完全に事態が落ち着く前の、余波だろう。
飛行機は、定刻通り17:00に大阪空港を出発し、高知空港に17:45に到着した。空港のサービスカウンターで聞くと18:10に安芸行きのバスがあり安芸で室戸行きのバスに接続するそうである。
到着が遅いため今夜は宿の夕食がないことを思い出した。空港に食堂はあるが、時間の余裕がないのであきらめ、空港売店で芋ケンピとビスコを夕食代わりに買った。都会で暮らしていると、コンビニがどこにでもあるので、弁当の調達に苦労しないが、お遍路ではそうはいかない。第一回目のお遍路の昼食も袋菓子だったことを思いだした。
安芸行きバスは結局15分ほど遅れて到着した。高知市内で交通渋滞に巻き込まれたらしい。乗り込む乗客は私一人であった。すぐに国道55号線に出て室戸方面に向かう。安芸まで25Km,室戸まで60Kmの表示があった。明日からこの道を歩くことになる。
安芸では乗り継ぎのバスが待っていてくれた。乗り換え客は私一人。
行き先の停留所の名前が分からないので、乗り込んですぐ運転手に、「民宿うらしま迄行きます」と申告した。運転手はすぐ「26番の登り口の所ね」と了解してくれたのでほっとした。
7時半を回るともうあたりは真っ暗になり、やや不安になった私が「まだですか」と聞くと「どこ? ああウラシマね。まだまだ。」とのことであった。
結局、8時頃バスは、バス停ではなく、民宿「うらしま」の真ん前に停まってくれた。運転手は「着いたよ。電気が消えているけど大丈夫かな」と心配してくれた。「勝手にあがってくれと言われているから大丈夫。」と答えると「へえ。勝手にね」とさすがに感心した。ともかく礼を言ってバスを降りた。お遍路で交わすこういうやりとり自体がなつかしく、うれしい。
宿を予約した時の電話では、玄関を開けておくから、2階の206号室に直接入ってくれとのことであった。玄関には明かりが灯っており、206号に無事はいることができた。まだ新しいきれいな部屋であった。テレビがありエアコンがついている。電話で教えられた通り風呂に入って、家に電話をかけ、ビスコを食べて夕食代わりとした。

7月28日(金)

翌朝起きるともう7時前であった。あわてて食堂に行く。到着は遅いし、朝も遅い。全く悪い客である。あわてて朝食を食べ、7時20分に宿を出発した。宿の写真を撮りたかったが生憎カメラの電池が切れているので撮れない。
宿の前の国道を向こう側に渡ったところで、今回初めて赤いお遍路マークを見つけ懐かしかった。
久しぶりのお遍路で、これまでのことなどを思い出しながら歩いた。最初のお遍路は黒の手提げ鞄に「同行2人」を入れただけで、着替えも何も持たずに来てしまったが、それに比べると今回の装備は随分進歩した。登山用リュックサック、雨具、着替え、カメラ、携帯電話、懐中電灯、常備薬等々、皆これまでのお遍路の中であればよいなと思った物ばかりである。ただし今回もお遍路装束は遠慮した。
途中、川村与惣太の墓と顕彰看板があった。何でも西寺別当を引退後、土佐各地を旅し、「土佐一覧記」を著わしたとのことである。
私の退職もそう遠い話ではない。「退職後、旅行に明け暮れるというのは全く悪くない。」などと考えてしまう。
8時に金剛頂寺に到着。先日大本山永平寺で入手した般若心経の経本を初めて読んだ。心境の変化なぞという物ではないが、経本を入手した時から何となく次のお遍路ではこれを読みたいと思ってきた。
納経所で「車ですか」と聞かれたので、「いえ、歩いています。」と答えるとそのままで会話がとぎれ、何となく妙な間があいた。
ともかく納経所の前のベンチにおいてあったリュックの所に戻り、納経帳をしまい、水を一杯飲んでリュックを背負い歩き出すと、「お気をつけて」と先ほどの納経所の人が声をかけてくれた。お辞儀を返して、しばらく歩いてからやっと分かった。
途中に有料駐車場があり、駐車した人は納経所で駐車料を払うことになっている。私は納経所の前のベンチにリュックを置き、納経帳だけを持って中に入ったので、全く車で回っている人に見えたに違いない。それなのに歩いていると言うので、疑ったのであろう。しかしリュックを持って歩き出したので、彼の疑いは解け、声をかけてくれたのだ。疑いが晴れてよかった。
山を降りた所にある道の駅「キラメッセ室戸」は休みであった。しばらく裏のベンチで休んだ後、9時過ぎに歩き出す。
天気は快晴、どんどん暑くなる。自動販売機でお茶を買おうとして50円玉を落とし、そのまま鉄格子の下の溝に落ちてしまう。
ついていないと思いながら歩き出すと、右足の感じがなんか変である。靴底をみると中空のかかとがすり減って底が抜けてしまっていた。これまで全く気がつかなかった。靴屋さんのあるところまで、この靴が持つかどうか心配である。
足に気をとられ、吉良川では旧道を行きたかったのに、国道をそのまま歩いてしまった。
そのうち右の靴のかかとは外側半分がなくなってしまった。内側のかかとだけで歩いているうちに、右足がつりそうになる。
11時半頃、ドライブインオハラを通りかかる。少し早いがここで昼をとることにする。
ラーメンを食べながら、「同行2人」を眺める。奈半利になら靴屋さんがありそうな感じだ。ウエイトレスのお姉さんに聞くとやはり、奈半利にあるとの事だった。国道沿いの左側にあるので見逃す事はないと保証してくれた。靴底を見せると「痛そう。」と言って同情してくれた。奈半利まで約10km、2時間半ほどはかかりそうである。
12時過ぎに出発した。天気はかんかん照り。道路の照り返しもきつい。
1時20分、羽根岬で休憩する。民宿「きんしょう」に電話して今夜の宿を確保した。余裕をみて6時頃に到着予定と伝えた。
国道をひたすら歩く。もちろん汗だらけだが、後から考えると汗のかき方が少なかったような気がする。
この辺から消耗が激しくなり、2時半ごろドライブイン渚で休憩。ただしドライブインは休業中だったので、駐車場の陰になったところで横になる。動悸がなかなか収まらない。
地図を見ると、ここから奈半利の町まで3kmほどである。
30分毎に休みながら、奈半利の靴屋さんには3時45分にやっと到着した。
靴屋の奥さんはよい人で、ぴったりの靴を見つけてくれたうえに、大幅に値引きしてくれた。「お気をつけて」の声に送られ、生き返ったような気持ちで、店を出た。
しばらく快調だったが、だんだん疲れが戻ってきた。30分ほど歩いたところにある、道の駅田野で再び休憩。コーヒーを飲む。
ここから民宿「きんしょう」までは5kmほどと思うが完全にばててしまい、おまけに、左足の親指の付け根にまめまでできたらしく、まともに歩けない。最後は10分歩いては5分休憩すると言うようなペースであった。
6時前に「きんしょう」についたが、玄関をはいったところにおいてあるソファーに座り込んでしまってしばらくは動けなかった。
しばらくして部屋に案内され冷房を効かせた部屋で横になった。
20分ほどしてようやく動悸が収まったので食堂に行って、夕食をいただいた。魚がおいしい。ビール1本でおかずをすべて食べ。最後にご飯をお茶漬けで食べた。最高のご馳走。
元気も回復し、民宿のおじさんと会話が弾んだ。このあたりで靴を壊す人は結構多いらしい。前に泊まったカナダ人の靴が壊れ、車に乗せて随分遠くの靴屋さんまで連れて行ったこともあるとのことだった。足が大きく中々あう靴がなかったそうだ。
お風呂に入った後、左足裏の水ぶくれの手入れをした。針で水ぶくれに穴を開け、丁寧に水を絞り出して絆創膏をはった。
足のまめはこれで大丈夫だろうが、明日以降歩けるかどうか不安である。明後日昼頃帰る予定だったが、場合によっては予定を変更した方がよいかもしれない。10時過ぎには電気を消したが、朝までよく眠れなかった。

7月29日(土)

朝、6時前に起きて一通り支度をすませ、しばらく部屋にいたら民宿のおじさんが朝食に呼びに来てくれた。朝ご飯を食べながらおじさんと話をする。おじさんは、「時には無理もせないかんじゃろうが、まあ様子を見て、きついようなら、あまり無理をせん方がよかじゃないか。」とアドバイスしてくれた。その通りと思う。
6時半に出発した。おじさんは、宿の前まで出て見送ってくれた。
8時半に神峰寺に到着。やはり体調はよくない。休めるところがあると全て休む。休んでも動悸が中々収まらない。
山を下りながら、今回はこれで引き上げることにした。これで最後というわけでもなし、もう少し涼しくなったらまた来ようと思う。
今回は暑すぎた。昨日の気温は35度とのことだが、国道はアスファルトが熱を持っていっそう暑い。38度ぐらいあるんじゃなかろうか。山を下りると、御免奈半利線の「とうのはま駅」はすぐ近くだった。10時過ぎの電車に乗る。駅で待っていたのは2人だけだったが電車に乗ると結構込んでいた。夏休みで帰ってきた小学生と田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの組み合わせが多い。おじいちゃん、おばあちゃんと言ってもみな若い。だいたい私と同年配ぐらいである。
御免駅で降りてタクシーで高知空港に行った。タクシー代が4千円ほど。地図で見るともっと近いと思ったが意外と高かった。電車賃の倍もかかってしまった。
昼頃の飛行機で大阪に帰った。空港から家内に電話して、モノレール南茨木駅まで車で迎えに来てもらう。
家に帰って、体温をはかると38度5分あった。夕方になってもあまり下がらないので、茨木市の救急医療センターに連れて行ってもらう。娘が小さいときにはここで時々お世話になった。
お医者さんの見立ては「軽い熱中症」とのことであった。「ポカリスエットをたくさん飲んで寝ていたら直る。」とのことである。
一応、鎮痛解熱の薬をもらって帰った。
今回のお遍路は散々であった。
しかし大したこともなく無事でよかった。また今回も道中色々な人に親切にしていただいた。もう少し涼しくなったらまた行こうと思う。


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