掬水へんろ館談話室メール
掬水へんろ館メールボックスから

大阪府茨木市の久岡恒則さんからのメールです。

なんとなく遍路という言葉に引かれ、たまたま目にした掬水へんろ館を見て、『四国遍路のはじめ方』を読み、『四国遍路ひとり歩き同行二人』を手に入れ、遍路を始めてしまったとのことです。2004年8月に初めてお遍路に行かれたときの思い出を寄せてくださいました。

2005.01.29 久岡恒則さんからのメール

2004年8月28日(土)最初のお遍路

近頃お遍路という言葉に引かれ、インターネットで「掬水へんろ館」を見つけた。串間さんの本やその他の方の手記を読み、段々と気持ちがそちらに向っている。「四国遍路ひとり歩き同行二人」が2,3日前に届き、昨夜は遅くまで地図を眺めていた。しかし、徳島までどう行くのがよいのかもう一つ分からない。バスがあるようだがバス乗り場がどこにあるのか分からない。大分前に愛媛県松山市に住む従兄弟を梅田の阪急のそばのバス乗り場に送って行ったことがあるのを思い出し、一度様子を見てみようと朝8時過ぎに家を出た。
我が家は土曜日は皆ゆっくり起きるので朝食は遅い。したがって朝食はまだである。休日の普通の格好でただ「同行二人」だけは持って、裸で持ち歩くのも不便なので、普段通勤に使っている黒のナイロンのバッグに入れてきた。
阪急梅田駅の北側のバス乗り場には確かに徳島行きのバスがあった。待合室を兼ねる切符売り場に入ると電光掲示板が10分後に徳島行きが出ることを示している。
目の前のカウンターのお姉さんと目が合ったので、「徳島まで--」と言いかけたとたん「お一人ですか」と聞かれてしまった。「何時間かかりますか」と聞こうとした言葉を飲み込み、なぜかうなずいてしまった。その後で徳島まで行って見てもよいかと思い返した。
切符を購入し、徳島行きのバス乗り場に行くとすでにバスが待っていた。入り口で切符を見せると「後ろのバスです」と言われてしまった。どうやら2台一度に出るらしい。後ろのバスに行き切符を見せると座席番号を告げられ、このバスが指定席であることに初めて気がついた。実は長距離バスに乗るのは始めてである。社内は思ったより込んでおり、半分ぐらいの座席は埋まっていたが、私の隣は空席であった。
阪神高速で神戸三宮を経由しそのあとしばらくバイパス道路を通り明石海峡大橋を渡る。何度も通った道であるが、視点が高いので景色が違う。淡路島を縦断し、大鳴門橋を渡るとすぐ鳴門のバス停である。「同行二人」の地図によれば鳴門から電車に乗るのが霊山寺には早そうである。ここまできたら1番札所の霊山寺までは行ってみようと思っていたので、鳴門でバスを降りた。
バス停にケーブルカーの乗り場があった。どうしたものかと躊躇していると、一緒に降りたご夫婦のご主人が奥さんに「すぐそこじゃもの待つ必要はない。」と行ってどんどん歩き出したので、私も思わずついて歩きだした。奥さんが振り返ってにっこりしたので私も笑ってしまった。実際ケーブルカーはわずか30mぐらいで終わっていた。
引っ張りあげてあとは自重で下るごく簡単なケーブルカーのようであった。そのさきの建物はバスの駅で、切符売り場や飲み物の自動販売機、徳島県の大きな地図や、パンフレット類がおいてある。しかしJRの駅がどこかは分からない。切符売り場のおねえさんに聞くと、この前の駐車場を突っ切って右に行くとJR鳴門駅ですと教えてくれた。
前の駐車場はショッピングセンターのものらしい。広い駐車場である。外に出ると暑い。教えられた通り駐車場を突っ切ると広い道路に付きあたった。この道にを右にしばらく行くと、鳴門駅の表示があり安心した。鳴門駅までは1Kmはないと思うが意外に長く感じた。
鳴門駅は小さな駅である。時刻表を見るとまもなく発車時刻である。あわてて窓口で坂東までの切符を買う。窓口のかわいい女性駅員が「池ノ谷で乗り換えになります」と教えてくれた。何気なく「そうですか」と答えると、「40分の待ち合わせになります。」 びっくりしたでしょという顔で付け加えた。たしかに少し驚いた。それにしてもみんな人当たりが柔らかく感じがよい。線路を渡って向かいのホームから列車に乗った。池ノ谷にはすぐについた。ここで40分待つわけである。無人駅で、乗換えを待つのは私と中年の男の人だけである。この人はこの暑いのにスーツを着ている。上着も脱がない。
昼も過ぎ、朝食を食べていないのでおなががかなりへっている。駅の外を見ると少し先に「山崎パン」の看板が見えたのでパンでも買おうかとその店に行ってみた。ほかには店は全く見えない。店に入るとお菓子が少しおいてあるがパン類はおいてない。店番のおばあちゃんにパンはないのと聞くと、パンはすぐいたむからおいていないとのことであった。しょうがないのでかりんとうの袋と森永ミルクキャラメルを買う。
駅についてかりんとうを食べながら袋を見ると、賞味期限はとっくに切れていた。私はそんなものは気にしない。近頃主婦は賞味期限にうるさいが無意味だと思う。賞味期限が過ぎたたからといって腐ったり変質したりするわけではない。賞味期限はこの期間であればおいしく食べられますよとメーカーが保障しているのである。賞味期限の前後の味の差などわずかなものである。その差を感じる味覚が無ければうまいとかまずいといったところで意味は無い。
味覚は自分で簡単にテストできる。例えば森永と明治とロッテの普通の板チョコを目隠しして食べてみて区別することが出来れば、少なくとも甘みに関する味覚はある。同様に苦味とか酸味もテストできる。もっとも、味覚も人によって差があるのは、人によって足が速い遅いというのと同じことだから味覚があるからといって威張ることは無い。

そんなことを考えているうちに徳島発の乗り換え列車がやってきた。この環境にいると40分は都会で考えるほど長くない。しかしこれだけ待つのであれば、多分あのままバスで徳島に行き、そこからこの列車に乗る方が早いのではないだろうか。
坂東駅にはすぐについた。霊山寺へ向かう。案内の表示が多く迷いようが無い。
霊山寺は中々立派なお寺であった。参拝者も多い。観光バスが何台もいた。本堂の横に売店があり納経帳や、白装束、杖などお遍路用品がいろいろ置いてある。ここで納経帳を買わないと後日お遍路を続けるにしても1番が抜けてしまうと思い、小型の納経帳を購入した。すでに霊山寺の分は書かれている。時間も早いので何となく極楽寺まで歩くことにした。暑いことは暑いが疲れるというほども無く極楽寺につく。納経というものも初めて経験した。係りの方は団体さんの分であろうがたくさんの納経帳を前においていたが私が前に立つと「どうぞ」と優先して書いてくださった。
ここにも用品売り場があり、日差しを避けるために笠だけを買うつもりで入ったが、結局上着も杖も買うことになった。上着は日差しよけのため長袖のものにした。杖を選ぶとき、「歩かれるならこちらのほうがよい」といって、鈴がついておらずカバーもついていない杖を選んでくれた。こちらのほうが長いし太いので杖として役に立つとのことであった。これは後に焼山寺を歩いたときよいアドバイスであったことが分かった。しかし黒いバッグ一つぶら下げてぶらぶら来た男が歩くと何故分かるのだろう。一通りすべてを身に着けると「お似合いですよ」といってくれ、照れた。 にわかにお遍路姿になり、似合わない黒のバッグを持って、引き返す気持ちになれないまま金泉時、大日寺を経て地蔵寺まできた。他の歩き遍路には会わない。地蔵寺についたときはもう5時も過ぎ、すっかり疲れてしまった。タクシーを呼んで帰ろうかと思いながら、「同行二人」をみると、民宿森本屋さんはすぐ近くのようである。境内を出ると森本屋さんは目の前にあった。泊めてくれるかどうか一応聞いてみようと思い玄関を開けて案内を乞うと、おじいさんが出てこられた。「予約していないのですが今晩泊めてもらえますか」と聞くと案ずるまでも無く「いいですよ」とのことであった。ふすまを開け放した、3間続きの広い部屋に案内されどこでもよいとのことなのでテレビの前に陣取り扇風機をかけた。
浴衣に着替え、汗でびしょ濡れになったシャツをそのまま窓の外のハンガーに干した。タオルと歯ブラシのセットも用意されており、何の用意もしてこなかったがとりあえず不自由は無い。夕食はとてもおいしかった。焼き魚、煮物、味噌汁、ご飯、みなおいしい。 客は私一人である。

夕食後家に電話した。徳島にいると言うと妻は驚いていた。
布団にはいると、開け放した窓の網戸を通して月が見える。今朝家を出るときはここまで来るなどとは思っていなかった。今こうして虫の音に包まれて月を見ていると、ずいぶん遠くにきた気がする。昨日までの生活が遠く感じられる。私の家の寝室から月は見えないし、虫の音も聞えない。鳴いていたとしてもエアコンの音に消されている。月を見ながらぽかんとした気分に浸っていた。

8月29日(日)

6時前に目が覚めた。お腹がすいてたまらない。昨日朝食が何時からか聞かなかった。朝食が待ち遠しい。
遠くで物音がするので準備中であるようだ。顔を洗い、布団をたたんで、昨日干してあったシャツを着る。
やがてお上さんが 「朝食できてますよ」と呼びにきてくれた。
朝食も実においしかった。炊き立てのご飯が実においしい。生卵をかけ、海苔と一緒に食べる。味噌汁や魚の干物もおいしい。
7時ごろ宿を出発した。お上さんが見送ってくれる。
「荷物はこれだけ?」とさすがに聞かれたが、「思い立ってきてしまったので」と答えると 「そうですか」とあっさりしたものである。
そう珍しいものでもないようである。
「お世話になりました。」、「お気をつけて」の言葉に送られて飄然とした気分で出発する。
安楽寺、十楽寺、法輪寺と回る間、1台のバスの団体遍路さんと同じペースであった。お寺とお寺の間隔が狭いので差がつかない。逆にお寺では団体さんは全員の納経に時間がかかる。途中農協を見つけたのでお金を下ろした。田舎に行くと銀行なぞ無いので、農協が頼りである。懐中が乏しくなっていたので農協を見つけたときはほっとした。
法輪寺を出ると団体遍路のバスもいなくなり、前後に歩いている人も全くいない。
やがて吉野川の土手に出て、話に聞く沈下橋を渡った。川幅が狭いので不思議に思い地図を見ると、これから大きな川中島を歩くことが分かった。これから対岸にでたところに阿波川島の駅がある。そこから引き返すことにする。
三叉路に差し掛かり、左藤井寺の表示がある。阿波川島駅はまっすぐと思い込みそのまま行き過ぎる。しかし一向に対岸に近づか無いので改めて地図を見るとどうやら先ほどの三叉路を左に曲がるべきであったようだ。しばらく考えて引き返した。1Kmほども行き過ぎていた。これまで頻繁にお遍路マークを見かけ、四国の道の表示もあったので、ほとんど迷うことも無かったが、初めて大きく迷ってしまった。
先ほどの三叉路を左にとるとすぐに次の沈下橋があり、渡って土手に上ると丁度列車が見え、安心した。
ふり返って、来た道を見ると、前に川中島が広がっている。対岸ははるかかなたである。その向こうに山並みがつらなり、そのふもとをここまで来たのかと思うと、よく歩いたものだと思う。あのはるかかなたから歩いたかと思うと感慨がある。車やオートバイではこれを感じることはできない。
表示に従い、小さいお城の横を通り広い道に出たところのガソリンスタンドで駅への道を聞く。親切に道を教えてくれる。道で行き会う人はなぜか視線を避けるような感じを受けるが、実際に道を聞いたりすると非常に親切に対応してくれる。
お遍路さんにも色々なひとがおり、遍路道沿いの人はこれまでお遍路さんに不愉快な思いをされたこともあるのだろう。私の遍路装束に黒の手提げかばんといういでたちも、少し妙かもしれない。
阿波川島で列車に乗り徳島に引き返した。JRの窓口で高速バスの切符を買い、大阪に帰った。バスは私鉄の運行するバスとJRの運行するバスの2路線があることが分かった。昨日は私鉄のバスで来たのだ。JRバスは2階建てバスであった。大阪駅の前にあるバスターミナルに到着した。
家にたどりついたのは7時ごろであった。


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