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掬水へんろ館雪遍路コウシン

《イノシシ》

 11番藤井寺から遍路道をたどること30分、ミカン畑の斜面にコンクリート作りの休憩所があった。疲れてはいたが、休む気にはならなかった。先を急ぐ。細かい雪が降り続く。粉雪とは言いがたいが、みぞれでもない。山道には3センチほどの積雪。しかし、林間に入るとところどころに吹き溜まりがある程度であった。

 丁戸庵に着く頃にはずいぶんと風が出てきた。雪が舞い上がる。積雪は5センチほどとなる。お堂には、セルフサービス(?)用の納経の朱印やゴム印がおいてあった。朱肉は乾燥しきっていて黒のスタンプ台しか使えなかった。また、ゴム印の一つが見当たらなかった。見本に気がつかずに、自己流の記帳をする。お接待でいただいたミカンを食べる。うまかった。大いに助かった。

 笠が飛ばされないように、しっかりヒモを結んで出発。だいぶ前から気になっていたクツの跡。やはり雪の上にクッキリとある。よく見ると小さなものと、大きなもの、その足跡の横には杖をついたような穴が点々とある。二人、先をどなたかが歩いている。まちがいない。歩く速度をあげる。だが、なかなか追いつかない。おかしい。もう一度、目を近づけて足跡を見る。まちがいなく、そう遠くない先を歩いている。柳水庵手前のお堂につくが追いつかない。

 柳水庵のご主人が立っておられた。これから先の道を尋ねる。もう一つあの山を越す。あの上が一本杉庵で、越えるとまた山がある。焼山寺はその山の中腹にあると教えられる。一度、舗装道路に出て、また、山道になった。先の足跡はなくなっていた。一体お二人はどこへ?うっかりして聞くのを忘れていた。あるいは柳水庵の宿の人となったのだろうか。

 北斜面の登りは、一層寒く、寂しく、また苦しい。ふと、自分はなぜこんなことをするのかと思う。自問自答しながら、くたびれ果てた体を運ぶ。願いがなければとても歩けるものではないことは確かである。歩かせてもらっていると、考えなければ理解できない。50をとおに過ぎた私に、こんなに歩けるエネルギーがあるわけがないのだから。なにか不思議な、なにかを思わずにはいられない。

 一本杉への石段に来る。足元に注意して登る。ふと、顔をあげた。大師とその背後の老杉、ともに余りにも巨大なその姿に息をのむ。

 ようやく2つ目の山を越え、そして下る。ついた先は左右内。狭い谷あいに農家が点在している。急坂を下りながら、向かいの山を見る。焼山寺はその山の上だ。谷川を渡ると、また北面の急な登りとなった。藤井寺を出て約5時間が過ぎていた。空が暗い、一層暗くなった。雪が舞う。もう、納経には間に合う時間ではなかっが、先を急ぐ。明かりの残る中でテントを組み立てなければならない。

 ドドドドドッ.....突然の異様な音にその方向を見る。20メートル程先を、なんと!イノシシが5〜6頭走っているではないか。ビックリした。タマゲた。感動した。そして、しばし呆然自失。

 5時20分。大駐車場近くの道路に出た。そこからは、雪の上にたくさんの足跡があった。こんな時間に人がいるのだろうか。参道を回りこんで、ようやく12番焼山寺山門前の石段にたどりつく。

 だれもいなかった。静寂の中、私が一人いるだけだった。

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