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掬水へんろ館雨遍路コウシン

《国道》

 車の大きなエンジン音が聞こえてきた。路面の雨をはじくタイヤの激しく鋭い音が混じる。見上げると、200メートル程先の山の斜面を大きな道路が走っていた。国道55号線、日和佐にある阿波徳島の結願寺、薬王寺に向かう道である。
 平等寺を出て約1時間、時計は夕方の5時30分をさしていた。計算どおりの歩行速度で進むことができた。あとは、日和佐までの一本道である。先が見えてきた安心感で嬉しくなったが、それもつかの間、すぐに憂鬱な気分になった。トンネルをいくつか抜けなければならないことを思い出したからである。歩きである私にとって、初めてのトンネルだ。
 小さな橋を渡る。道はそこから左右に分かれていたが、どちらも国道へ上がる道になっていた。右の道を選ぶ。国道から川へ下る斜面の中ほどの所に大型トラックが何台も止めてあった。運送会社かあるいは建設会社の操車場のようだ。歩きながら見下ろし、野宿の場所としてどうだろうかといろいろチェックしてみたが、やめた。まだ歩ける時間であったし、人影も無くこの日は休みのようであったが、トラックがいつ何時使われるか分からない。夜中に人が来て、トラックが動き出したならばたまったものではない。
 国道に出た。出たとたん、ものすごいスピードで徳島方面へ向かう乗用車の水しぶきを浴びた。たまらない。一瞬、惨めな気持ちになった。
 日和佐の方面を見た。左側は、かなり高いところから山すそが落ち込み、ここが切削され国道となり、ここからさらに川へと斜面が落ちている。そのような山すそが、これから進む先に二つ三つ重なって見えた。右側はいくらか視界が開けている。それほど遠くないところに山が並び、その山の下からこちらの国道までの狭い谷あいには、わずかに農家が点在し、水田となっていた。

 どのように説明したならよいのだろうか。この国道を歩いている時に感じる苦しさや、違和感、嫌悪感を。そして、これらが複雑に交じり合ったところから生じているのであろう、この落ち着かない奇妙な感覚を。
 焼山寺への雪降る山道も確かに苦しかった。徳島の雨降る繁華街を歩いた時の違和感も思い出す。平等寺の町を出て暗い山間(やまあい)の道路でヘビに出くわした時のなんともいえない嫌悪感も経験した。しかし、それらとはかなり違う感覚だ。この付いて離れない何とも言えない感じは、一体なんなのだろうか。
 衣服に雨がしみこみ、ボロのような疲れた体を引きずり、雨降る夕暮れに陰鬱な山間(やまあい)をたった一人歩むからなのだろうか。あるいはこれは、単なる感傷の変形なのか。私の覚えた感じをどのように表現したらよいのだろう。
 とうとうトンネルに来た。大きく口を空けた入り口の上に「鉦打トンネル」と名前が刻んであった。新しいトンネルのようだ。コンクリートが白く、それほど汚れがついていない。明るいオレンジ色の照明灯が天井に整然と並び、まるで誘い込むように奥へと続いていた。
 国道に上がりここまで歩いてきた道とはなんと対照的なことか。今までの道には、空き缶やポリ袋、その他わけのわからないゴミが散らばっていた。場所によっては不法投棄の山もあった。かぶさるように迫る山の斜面は、頑丈なコンクリートで厚く防護され、その壁面はコケやカビにおおわれ、排気ガスに汚れ黒ずんでいた。路肩には、排気ガスで汚染された土を溶かした黒い泥水がジャバジャバと音を立てて流れ、そして排水枡に落ちていた。車から捨てられたのだろう、食べかけのプラスチック入りの弁当があった。それは腐敗し、半ばくずれ、なかば溶けて流れていた。カラスの死骸もころがっていた。異臭を溶かしよどんでいる湿気の中を知らず歩き、思わず顔がゆがんだ。汚れきったどす黒いヌラヌラした感覚が身体にも心にも塗りつけられた。
 そのような道から、オレンジの照明灯がまるで宇宙船への誘導路のように見える、この白い鉦打トンネルに立って、私は突然昔見た映画を思い出した。そうだ、この感覚は「ブレードランナー」の世界ではないだろうか。
 人間の欲望と近代科学のもたら利便性の行きつく先を描いたあの映画は、酸性雨が降り続く、荒廃した猥雑な近未来の世界が舞台であった。あの何とも言えない雨に濡れた陰鬱な世界を、私は今歩むこの国道に感じていたのかもしれない。あるいは、映画「エイリアン」を見た時に感じた、あの生理的な嫌悪感であったといえるかもしれない。
 そのトンネルを抜けて、しばらくゆくと次のトンネルが見えてきた。これはずいぶん古いようだ。照明も暗く、見るからに危険が予測できるようなトンネルであった。これはマズイ。私は、リュックから懐中電灯を取り出した。点灯するとそれを右手に逆に持ち、後方からの車にライトが見えるようにして歩いた。
 歩道どころか、その部分さえもない。車が来るたびに身を縮めて立ち止まった。やはり左側通行では危ない。私は右側に移動した。
 トンネルを抜けた。当たりはすっかり暗くなっていた。早く野宿の場所をさがさなければならない。私はあせり始めていた。どこにするか。先を見るが、見るまでもなくただ一本の山の中の国道があるだけであった。
 周りを見ながら歩く。道の脇に車の待避所らしい広場があった。そこにしようかと思ったが、夜中に通りががりの暴走族に「オヤジガリ」にされたら大変だ。あるいは、車が知らずに入りこんできたならばつぶされてしまう。いろいろ考えたら恐いのでやめにした。仕方がない。また歩き出す。
 山際(やまぎわ)の防護壁が左右に傾斜を描いて切り込んである。作業用の入り口なのだろうか。そばに行き調べる。コンクリートの上の方にに登ればテントの場所くらいありそうだ。車道からもかなり高い位置にあるので安全だろう。ここに決めた、と足をその斜面にかけた時。そうだ、この雨では土砂崩れが怖い。そこまで行かなくとも、山の上から多量に雨水が流れてきたら厄介だし、やはり恐ろしい。またも断念した。
 今度は、道路の右側を探した。そこに水田に下る小さな坂道があり、20メートルほど下にちょうど良い場所があった。しかし、やはりパスすることにした。離れてはいたがその水田の農家らしい家が真向かいに見えたからだ。テントの明かりを不審に思い、誰かがやって来たならば、私は間違いなくうろたえてしまうだろう。
 結局、野宿の場所は見つからなかった。パニックになりそうな心の動揺を押さえ押さえ歩きつづけた。由岐の町へ下りる道もあったが、そのまま国道を行く。白いペンション風のホテルがあった。その前が手ごろな広場になっていた。断ってそこにしようか。だが勇気が出ない。弱気になっていた。このまま日和佐まで歩かなければならないのか。体力はもう限界に近づいていた。

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