愛媛県生涯学習センター『遍路のこころ』(平成14年度遍路文化の学術整理報告書)より転載(pp.265-266)


第3章 遍路道と遍路資料の保存と活用
 第2節 遍路資料の保存と情報の発信
  2 遍路情報の発信
   (1)マス・メディアによる発信と普及
    ウ インターネット
     (ウ)ホームページ『掬水へんろ館』

 遍路を計画している人、遍路体験を共有したい人、そのほか四国遍路に関心を持つあらゆる人々のための「情報のお接待所」を目指して、歩き遍路を中心に四国遍路の実践のための情報を提供しているホームページ『掬水へんろ館』(http://www.kushima.com/henro/)を開設している人が、横浜市在住の串間洋さん(昭和25年生まれ)である。串間さんは、平成8年から平成11年にかけて、6回の区切り打ちで歩いて四国八十八ヶ所を巡った。四国遍路の体験から得たものを、串間さんは次のように語る。
 「実際に歩いてみると、都会の利便性から離れた時間を過ごして、成り行きに任せることの快感とか、プラス思考の喜びを実感しました。特に、日ごろ自己主張をしていないと生きていけない人生を送っていますが、ひとたび白衣を身にまとい一笠一杖を携えて歩き始めれば、四国の人々がやさしく無条件で認知し、受け入れてくれることに感動しました。肉体的・精神的な負荷がかかった状態で、お接待などのもてなしを受け、さらには他人に合掌されるという体験を通じて、自分自身が成長する気がしました。」
 このような体験から、歩き遍路の本質は人々との出会いにあると考えた串間さんは、そのすばらしさを他人にも伝えようと遍路日記を書き、出会った人々に送ったり、ホームページに公開する活動を始めた。平成8年1月から開設していた串間さんのホームページ『掬水の果て』に、6月から遍路関連の内容を掲載した。平成10年9月には、遍路関係を独立させて、現在の『掬水へんろ館』となった。「掬」という字は「すくう」と読むが、「むすぶ」とも読む。片方の手の甲を片方の手の平に乗せて重ね合わせることで、その手の形をもって水などを掬うのである。「掬水」について、串間さんは「流花去難掬(流花去りて掬し難し)」という面を強調される。「これはいい」と思ったものも、それに気がついて川の流れに手を人れて掬ったころは花も流れ過ぎてしまって、掬い上げた手には透明な水が残るばかり。これまでの自分にはそういう後悔に似た部分が多かったということだろうか。これからはできるだけ早くいいものに気がつき、掬い上げた手に透明な水だけでない何かが残っていて欲しい、という思いからのネーミングである。このような活動を始めた思いを、串間さんは次のように語る。
 「初めは、単に遍路日記を公開して、他の方の参考にしてもらうとか、同じ遍路を体験した方々との交流が目的でした。そのうち遍路ブームが盛り上がっててきたせいもあって、いろいろなノウハウ情報に対するニーズを強く感じるようになりました。『自分にできることで何かお遍路に役立つことをしてみたい。それも“もの”ではなく何か“内面”からくるもので役立ってみたい。』と思いました。そこで、四国で得たお接待に対するお返しとして自分にできることは『情報のお接待』だと思うようになり、積極的に情報発信に力を注ぐようになりました。
 世の中には遍路に行きたいと思っている人はいくらでもいるはずだ、だからそういう気持ちになっている人の背中を、『そっと押してあげる』という活動が、様々なお接待や出会いを自分に与えてくれたお四国に対して、自分の力の範囲でできるお返しなのだと考えました。」
 『掬水へんろ館』から発信される情報は、歩き遍路を中心とした遍路のための実践情報(行程、服装、装備など)や遍路にまつわる様々な事物に関するエッセイ、串間さん自身の遍路日記や寄稿された遍路日記(9編)、遍路に関する出版物の紹介や遍路に関連したニュース、読者同士の双方向コミュニケーションを目指した談話室など多岐にわたっている。さらに、『掬水へんろ館』からリンクしているサイトは、歩き遍路関係の77サイトをはじめ合計238サイト(平成14年8月4日現在)あり、毎日のアクセス数は300から400件、月間1万件程度のアクセスがあるという。
 このようなホームページでの情報提供の問題点や今後のあり方について、串間さんは次のように考えている。
 「私のサイトのようにインターネットで情報を提供するということは、安直な遍路を助長するのではないかという懸念を感じています。またそうしたマイナス面がネット上に現れると、無責任な場で面白おかしく扱われ、遍路を志す心のやわらかい方々を傷つけるのではないかと心配しています。
 あまりに至れり尽くせりだと『感謝』の心に至らないという面があるのも事実だと思います。そういう意味では、ホームページでも、最初の一歩の手助けはしても、何から何までマニュアル化してしまうことは避けたいと考えています。
 ただ、何百年も続いてきた大師の道ですから、世相の影響で揺れ動く部分があったとしても、根幹は変わらず、人々を受け入れ続けてくれるものと信じ、私なりの活動を続けていきたいと思っています。」


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