掬水へんろ館体験的・遍路百科談話室
掬水へんろ館納経 (のうきょう)

納経とは

納経帳
納経帳

お寺では、本堂と大師堂にお参りしたあと、納経所に立ち寄って「納経」するのが普通です。本来「納経」とは、文字通り「経」を「納める」ということで、お参りしたときに写経を納めて、その「受け取り証」として納経帳や持参の白衣、掛け軸などにに朱印を頂くことをいうわけですが、現在では、写経を納める代わりに納札を納める方が多いようです。お堂の前には、「写経入れ」と「納札入れ」が別々に置いてあるのが普通です。

納経帳には、「奉納」の文字に加えて、本尊を表す梵字と本尊の名前、そして寺院の名前を墨書してくれます。さらに札所の番号などの朱印を押してくれます。四国霊場では日付は入れません。ご住職など正式のお坊さんがして下さることもありますが、いわゆる「納経書き」として雇われている人のこともあり、その対応も様々です。次々に訪れる参拝客に対して、さらさらと慣れた手つきで書いてくれます。お守りを買ったりするのと違ってハンドメイドなので、僧籍の方に書いていただいたものではなくても、ありがたみが感じられます。

納経には料金がかかります。お布施のように「お志しで」というわけではなく、四国八十八カ所霊場会が定めた協定料金です。納経帳だけでなく、白衣の背中や専用の掛け軸に書いてもらうこともできます。納経の受け付け時間は下記の通り決められています。

納経所は、原則として年中無休です。僕は、年末年始の休暇を利用して歩いたこともありますが、大晦日も元日も、上記の時間帯は、納経所はちゃんと開いていました。足摺岬の金剛福寺で除夜の鐘をついたときは、夜中でも納経を受け付けていましたが、これは例外でしょう。また、51番石手寺では、午後6時まで納経を受け付けていました。道後温泉に近く観光地的な場所だからかもしれません。

[2001.11.10 追記]
2001年夏に歩いたときに、51番石手寺に電話で確認したところでは、他の札所と同様、納経は午後5時までという決まりだそうです。ただ「事情によっては多少の融通はきくこともあります」とのこと。

納経の作法

本堂と大師堂にお参りしたあと、納経所に行きます。前述のように、納経帳に朱印を押してもらうのは、納経した証ですから、お参りする前に納経所に行くのは、本来ルール違反です。それではスタンプラリーと変わらなくなってしまいます。

そうは言っても、僕はお参りの前に納経してもらったことがあることを白状します。納経時間ぎりぎりの午後5時前に札所にたどりつき、すぐに納経してもらったのです。本堂と大師堂のそれぞれに、灯明をあげ線香をたて般若心経を読むと最低でも5分ぐらいはかかり、納経の受付時間が終ってしまいそうだったからです。

その他、団体遍路と遭遇したときに、先に納経を済ませてしまうというのも、まあ許されるのかなあと思います。団体遍路は自分たちがお参りしている間に、添乗員が何十冊と納経帳を納経所に持ち込むのですから、その後になると相当長時間待たされることになるのを覚悟しなくてはなりません。

ところで、談話室に、「納経帳を開いて差し出すのが作法か」という疑問が提出されました。ある札所の納経所に「開いて差し出すように」という張り紙があったり、あるご住職から「開いて差し出すものだ」と注意されたというものです。

僕自身の見聞からも、また他の方々の発言からも、納経帳を開いて差し出すことが、特に決まりとして一般的に認知された「作法」とは言えないようですが、お互いにとって便利であることは確かです。

重ね印

2回以上遍路を繰り返す場合や、区切り打ちで前回打ち止めの札所にもう一度お参りするなど、2回目以降の納経の場合は、墨書はせず朱印のみを押します。したがって、何十回も遍路を重ねている人の納経帳は真っ赤になっています。

変わった納経

木版の納経
1996年5月(木版)
手書きの納経
2000年1月(手書き)

第4番大日寺の納経所で、納経帳に墨書する代わりに、版木のようなもので押された経験のある方も多いでしょう。手書きではないので「何だ、手抜きじゃないか」と感じた方もあるかもしれません。僕も、1996年に訪れたとき、ガッカリしました。でも、本来は四国八十八カ所の納経は木版を押すこちらの方が原型だということです。それがなぜ手書き主流になってきたのかは分かりません。

しかし、最近、大日寺でも、その貴重な木版納経がついに姿を消しました。2000年1月に妻と二人で遍路をしたときに、他の札所と同じように手書きの納経になっていたのです。今回は由来を知った上で木版納経との再会を楽しみにしていただけに、またまたガッカリしてしまいました。納経所の話によると、「八十八カ所の中で、古来の形式を今まで保ってきたのはここだけだったが、経緯を知らない参拝客からは『木版だとありがたみが少ない』などという声もあった。先代が亡くなったのを機に、今年から手書きで納経することにした」とのことです。残念な気もしますね。

愛染院の刷毛納経
愛染院の刷毛納経

他に変わった納経としては、第3番奥の院「愛染院」の刷毛納経があります。四国で唯一だそうですが、筆の代わりに刷毛を使って墨書してくれます。「雲さん」のホームページで知ったので、2000年1月の2巡目の遍路のとき立ち寄って納経して頂きました。

1月2日、まだ正月休み中で近所の人が次々と挨拶などに訪れるなか、「納経を」とお願いしますと、かなりのご高齢の庵主様はわざわざ時間をかけて正装に着替えをされ、ていねいに納経して下さいました。お接待に、マッチとティッシュペーパーも頂きました。もっとも、「仕事場」はついたての陰になっていましたので、刷毛で書いている現場は拝見できなかったのが残念です。

歩き遍路にとっての納経所

遍路は、本堂と大師堂の前で灯明・線香をあげ、読経しますが、御本尊は本堂の奥深くに納められ、また大師像もしかとは拝見できないことも多いです。住職などと言葉をかわす機会もそうはありません。したがって、納経所は遍路とお寺の人との貴重な接点です。

特に歩き遍路にとって、納経時間が朝の7時から夕方5時に限られているということは行程上かなりの制約になってしまいます。しかし札所を「点」、道を「線」とすると、どうしても「点」より「線」の重みが大きくなりがちです。せめて「点」での人間関係である納経所でのひとときを大切にしたいものだと思います。

僕の体験では、前述の愛染院や、わざわざ着替えて下さった別格6番札所龍光院や、輪袈裟をかけてから納経して下さった別格14番常福寺(椿堂)のような番外霊場が特に心に残っています。

その一方、テレビを見ながら、あるいは、タバコを吸いながらといったところもありました。納経帳を返すやいなや窓口の扉をぴしゃんと閉めてしまう方もありました。しかし、こういった対応に一々腹を立てていては遍路はできません。次の札所への道順を尋ねてみるなど積極的にコミュニケーションを図る努力をしてみましょう。

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