掬水へんろ館遍路日記第6期前日翌日談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第6期くしまひろし

第2日(4月30日)

天皇寺、納経成功!

6時20分、出発。

今日は山歩きになる。昨日、秋山さんに頂いた資料一式を自宅に送って少しでも荷物を軽くしたい。今日は金曜日なので郵便局も開いているはずだ。まずB5版の封筒を入手しようと思って、ホテル近くの国道沿いのミニストップに入ったが、通常の封書用の封筒しかなかった。

あきらめて歩き始めたが、どうも様子がおかしい。「同行二人」の地図上のコースは旧道に沿っているが、僕が泊まったホテルは国道33号に面している。ホテルを出てJR予讃線と並行する国道を東進すれば、いずれ合流すると思って歩いていたのだ。ところが、なかなかそれらしい合流点を発見できない。地図上にはないガソリンスタンドに次々と出会う。右手はるかかなたには森と墓地がみえる。あっちに札所の匂いがする。国道はビュンビュンと車が往復しているが、歩いている人は誰もいない。ここが決断のしどころである。思い切って踵を返し、数分戻って、踏み切りを渡る。細道に入ったら、すぐに遍路シールがあったので一安心。

だが、お寺に近づいて行くと、道が不規則に分岐していて分かりにくい。道標もない。お墓付近を掃除中のおばさん3人に道を聞いてようやくたどり着いた。とても親切に教えてくれた。

79番 天皇寺
79番 天皇寺

79番天皇寺は白峰神社に隣接している。神社の方が大きい。山門を探してぐるりと回ってしまったが、結局、鳥居をくぐって入るしかないことが分かった。隣接しているというよりも、神社の中にお寺があるという感じである。お寺のど真ん中を、神社の参道が突き抜けている。7時、天皇寺到着。

お参りをしていると、吐く息が白い。神社やお寺の境内では数人の男女が一心に掃除や草取りをしている。お参りを終えて、それらの人々にあいさつをしながら納経所にやってきたが、雨戸が完全に締め切られている。朝一番に開いていない納経所は、44番に続いて2度目である。雨戸を叩いて、「すいませ〜ん」「お願いしまーす」と声をかけると、後ろから返事が聞こえた。

「もう7時になった?」
「15分過ぎですよ」
「今開けるからちょっと待って」

しゃがみこんで草取りをしていたおばさんだ。ベンチに腰を下ろして待っていると、きのうの東京の女(ひと)も、「ここが納経所じゃないんですか?」とやって来た。

まもなく、さっきのおばさんが、雨戸を最小限の広さだけ開けて、その狭い隙間から納経完了。荷物を整えていると、車で来たらしい夫婦遍路がやってきた。半開きの雨戸を見て、「まだ開いてないんですか」と心配そう。おばさんは、またどこかにいなくなっており、夫婦遍路の御主人の方が呼び出し用の鐘を何度も鳴らしていた。

実をいうと、このお寺で時間内なのに納経所が開いていなかったり、人がいなかったというのはよくあるようだ。1時間待ったという話もある。そういうわけで、僕も朝一番の納経は危惧していて、締め切った雨戸を見たときには覚悟を決めた。結果的には数分待っただけであり、幸運だったと言えよう。

7時24分、天皇寺を出発。

体調不良か?

「同行二人」の地図は大変よくできていると思うが、札所から出るところが分かりにくいことがある。79番を出て畑仕事をしていた男性に80番への道を尋ねた。初め、81番白峰寺への道を教えてくれた。80番から81番への遍路ころがし(急な坂)を登るのを避けて、81-82-80と回る人も多いようだ。

30分ほど歩いた頃、大橋児童公園で休憩して、パブロンを飲んだ。朝から頭痛があり、首のところがスースーと寒い。一昨夜が夜行バスだったので寝不足が影響しているのか、昨晩、入浴してから近所を歩き回ったのがいけなかったのか、2日目からこれでは先が思いやられる。

8時、綾川橋を渡ると、お城がある。あれ、こんなところに…と思ったらホテル江戸城であった。国道33号に入ると、丸刈り少年4人が、自転車を止め、側溝に座り込んでタバコをふかしている。いずこも同じ風景である。8時40分、国分寺町への分岐。風邪薬の効果か、気温上昇のせいか、体がほてる。快晴。

こどもSOS
こどもSOS

8時50分、国分寺町に入る。今回の遍路では、町を歩いていると民家の門先に「こどもSOS」という看板が表示してあるのに何度も出会った。色々と事件があった関係からだと推測する。だが、大都会なら知らず、このように古い住宅の並ぶ地域においては、回りの大人の誰にでも、またどの家にでも助けを求めることができるのではないかと思っていたので、こうした看板は意外であった。

9時、80番国分寺に到着。梵鐘は重要文化財のため、鍵のかかった柵で囲まれて近寄れない。立派な大師堂の隣に、納経所と売店兼用の建物が建っている。今までで最も大規模な売店だと思う。窓ガラス越しに大師堂を拝むようになっている。

接待所でインスタントコーヒーを飲む。松山から来た車の中年夫婦が休んでいた。少しずつ回っていてもう10回目ぐらいになるという。壁には、徳島の修行僧からの絵はがきが貼ってあった。野宿させてもらった礼状で、5月10日(昨年?)に結願したとのこと。

3月にここを歩いたばかりのカタネさんからのお手紙に、道しるべを信用して遠回りしてしまったとあったのを思い出し、出発前に納経所にもどって、窓口のおばさんに81番への道を尋ねたところ、大きな文字で道順を説明したパネルを差し出した。度々尋ねられるのだろう。「商店のある道路を左に行き、モーテルプリンセスの前を左折して登る」などと要領よく説明してある。よくよく頭にたたき込んで、9時30分、国分寺を出発。

門前にある道しるべは、教えられたのとは、まったく反対方向を指している。カタネさんのお便りによれば、この道しるべに従って歩くと町内の名所巡りをするハメになるらしい。

五色台恍惚

マムシ注意
マムシ注意

80番から、モーテルプリンセスの前を通って、しだいに登っていくと、盆栽の畑が広がる。苗や鉢が並ぶ一帯である。登りにかかっても、簡易舗装の道が続き、小刻みに休憩所がある。階段から、最後は山道になったが、道幅も広く、よく整備されていて、「遍路ころがし」の名前から想像されるほど険しい道ではない。ただマムシの警告が不気味である。

山道を登りつめて県道に出る手前100メートルの休憩所で、軽く昼食にした。昨日コンビニで買い込んだチーズケーキを食す。食欲が出てきたのは体調回復のしるしか。風もなく晴れて穏やかな天候である。

県道に出ると、またもや、相互に矛盾した道しるべが入り乱れているが、「同行二人」の地図を参考に県道を左に進むことにした。ほぼ平坦。やがて遍路道の表示に従って右に入ると、陸上自衛隊の古田厩舎に突き当たり、「立入禁止」という表示がある。高知では、清掃工場の中を通り抜けたことがあるが、自衛隊はちょっとヤバイね…と思ったら、右手に細い迂回道があった。山道を下る。次の82番へはこの同じ道を戻ってくることになるので、「おいおい、あんまり下らないでくれよな」という感じである。

しばらく行くと、「下乗石(げじょうせき)」という小さな塔があった。「長い遍路道もやっと聖地に近づき、ここからは聖地であるからどんな高貴な者でも乗り物からおりて、自分で歩いて参拝しなさい」ということだそうだ。もっとも、今となっては、これを見ることができるのは歩いて遍路をしている者だけだ。高貴な方かどうかは別として、乗り物の方は、車道を通じてお寺の前に直接着いてしまうのである。

下乗石から5分ほどで、81番白峰寺(しろみねじ)到着、11時35分。

本堂へは、長い階段を登って行く。途中には、生まれ年の干支ごとに守り本尊のお堂がある。ちょっとしたお寺がいくつも入ってしまうような、起伏に富んだ広い境内である。

12時、白峰寺を出発。

根香寺へ
根香寺へ
藤田さんの札
藤田さんの札

82番へは気持ちのよい尾根歩きである。古田厩舎の近くまで戻り、さらに尾根道を行く。しばらくは平坦な道が続くが、その後は起伏がある。この1時間ほどの遍路道は、1200キロの遍路道の中でも最高の部類に属するだろう。息を切らして登ったり、膝がガタつくまで下りるというのでなく、適度の昇り降りで自然の中を歩く…素晴らしい道である。朝の頭痛はどこかに吹き飛んで、しばし、歩く恍惚にひたった。

木の枝から、今年の4月11日という日付の入った藤田康夫さんの札が下がっていた。藤田さんというのは、昨年夏の遍路で出会った方で愛知でバスの運転手をされている方である。こうした山道に下がっているへんろみち保存協力会の札は金属板だが、藤田さんの札は白いプラスチック板で自家製らしい。年賀状のやりとりがあったが、今年も歩いておられることを知り、うれしくなる。3年間も区切り打ちをしていると、こうした間接的な再会もまた楽しみなものである。

時折、ハイキング姿の人もいる。ここ五色台という高台の一帯は、瀬戸内海を見下ろすドライブコースとしても、また快適な尾根歩きを楽しむハイキングコースとしても親しまれているようだ。

露口誠一さん
露口誠一さん

13時過ぎ、山道から駐車場に出た。アイスをなめていた男性が近寄ってきて「くしまさんですか?」。おお、「掬水へんろ館」でもおなじみの、新居浜の露口誠一さんである。わざわざ僕の行程に合わせて、ここに車を止め、ハイキングコースを楽しみに来られたのである。初対面なのに、何度も「掬水へんろ館」の談話室やメールでのやりとりがあったので、古くからのお付き合いのような気がする。

露口さんの話

このへんはなかなかいいでしょ。私は、近場の強みでおいしいところだけつまみ食いしている。今日は、平日なので札所は人が少なかった。歩きの人は64番から65番のあたりで2〜3人。札所ではみかけなかった。自転車の人もいた。

13時25分、駐車場の近くの食堂みち草にて昼食。再び山道に入ったり車道に出たりを繰り返しながら、14時、82番根香寺(ねごろじ)に到着した。

ここも奥の深い寺である。仁王門をくぐると、いったん階段で下りた所に木々の繁る低地の空間が広がり、さらにその向こうに登り階段が続いている。ともすれば急ぎがちな現代人に対して「そう急ぎなさんな」と諭してくれるような迎え方である。本堂は、さらにその先、階段を上り詰めたところにある。お参りを終えて振り返ると、境内に広がる新緑の楓が美しい。

山を下りる

14時30分、出発。山門の外で、今晩の宿である民宿幸荘に電話をする。今朝、確認の電話を入れたとき、「道順が分かりにくいから、根香寺を出るときもう一度電話して」と言われていたのだ。道順を詳しく教えてくれたあと「今日は皆さん早くて、もう4人入っておられます。でも急がなくて結構ですからゆっくりいらして下さい。1時間半ぐらいで着くでしょう」という。

山桜
山桜

カーブを繰り返す車道沿いの山桜が美しい。また、この付近は植木の里である。ふもとに近づくと、畑には様々な樹木が栽培されており、よく手入れされていて眼を楽しませてくれる。ただ、アスファルト道路を続けて下ると足への負担が大きい。足の裏が痛くなってきた。1時間も歩いたころ、公園のようなところで休憩。

途中、右に分岐する「盆栽通り」に入る。「同行二人」の地図でいくとここは左道をいくところだと思うが、幸荘の奥さんの電話の指示に従っていく。

16時10分、民宿幸(みゆき)荘着。「同行二人」の地図には「民宿みゆき荘」と表記されているが、漢字で書くのが正しい。玄関を入ると、奥さんがニコニコしながら出てきて
「串間さん、いつもお世話になっています。電子メールとか…私はさっぱり分からないんですけど。お顔は存じあげてるんです。雑誌で…。」

賑わう幸荘

民宿幸荘
民宿幸荘

ここ民宿幸荘は、「四国八十八ケ所遍路ノート」というホームページを開いていて、「結願を目前に控えたお遍路さんが書き記した、悲喜こもごもな旅の想い」を、奥さんの丁寧なコメントつきで掲載している。

部屋に案内されて荷物をほどいていると、風呂上がりで髪を拭きながらひょっこり顔を見せたのが、昨日迷い道で先導してくれ、そして今朝天皇寺で出会った、東京の女(ひと)である。今日は80番には行かず、79番から直接81番82番、そして番外の香西寺を回ったとのこと。白峰への道は、79番から車道を行ったが、車の交通量も少なく瀬戸大橋も大きく見えて、なかなかよかったそうだ。

民宿やビジネスホテルでは、浴衣を用意してくれるところが多いが、ここ幸荘ではパジャマである。これはありがたい。大体、普段浴衣や寝間着で寝ている人ってどれくらいいるんだろうか。僕は寝相が悪いので浴衣で寝るといつも夜中にはだけてしまう。だから遍路ではパジャマのズボンを持ってきている。

また、幸荘では、汚れ物を出しておくと洗濯して乾燥機にかけてくれる。遍路宿の中には、宿の奥さんがこうしたお接待をしてくれるところが何軒かある。もっとも、幸荘の奥さんによると「洗濯はウチの標準サービスであって、お接待ではない」とのことである。

遍路用の宿泊施設一覧表に名を連ねていながら、洗濯機を使わせてくれない宿もある中で、大変ありがたく、申し訳ないぐらいのサービスである。実際、歩き遍路で荷物の量を抑えようとすれば、毎日洗濯しなくてはならないが、遅くなって疲れ切って着いたような場合、さらに洗濯という仕事をするのは億劫なものだ。こんなことを書くと、共働きの方々には「甘ったれるな!」と叱られそうだが…。

入浴して、夕食を待つ間、荷物を整理していると、予約の電話に奥さんが答えている。
「あした二人ですか? 少し混み合ってまして…、いえお部屋はご用意できるんですけどね、あまりお世話できない…もしもし?…良いですっていうのはそれは予約すると言うことですか、要らないということですか?…もしもし…チショーさんでしょ?…今度は1室でいいんでしょ? はいはいお待ちしてます」

「チショーさん」でピンと来た。昨年夏の遍路のとき、民宿岡田で出会ったお坊さんの早川さん夫妻である。当時は婚前遍路中で、「二人別々の部屋で」とこだわっていた。お二人とも何度か歩き遍路をされており、奥さんの智祥(ちしょう)さんは、その美しさと独特の美声で一時期遍路道の話題となったという。1日違えば、またお目にかかって「おめでとう」と言えるところだったのに残念である。前回は逆打ちであったが今回はどうだろう。逆打ちなら、明日出会う可能性もあるわけだが…。

奥さんの話

1月には仕事関係の人が中心、それが終わって3月下旬に、腰を痛めて1週間入院。3〜4月は遍路が多い。
以前は仕事関係の客だけだったが、平成5年ごろ、へんろみち保存協力会の宮崎さんから「宿の一覧表に載せていいか」という確認の電話があり、軽い気持ちでOKしたら、しばらくして、次々に遍路から予約の電話が入るようになった。
一晩にお客さんが多いと、一人一人とじっくりお話できないのが残念だ。

さて、同宿の客は、埼玉から来たご夫婦(69歳と61歳)、淡路の男性(62歳)、東京の人(女)はマツキさん、そして、26歳のサチコさんである。僕以外は、みんな大体同じ行程で歩いているので、お互いよく知っているらしい。

埼玉夫婦の話

3月21日から歩いている。この日はお釈迦様の亡くなった大事な日だ。歩き遍路の出発までに、色々と情報を集めようとしたが、少なくて苦労した。東京駅近くの徳島県の事務所にも行ってみたが、大したものはなかった。「同行二人」の本のことは知らなかった。
いま思うと、荷物が多過ぎた。高知に差しかかるころ、これではやっていけないと観念して一部を送り返した。「5キロぐらいにしなさい」というのは本当に正しい。会う人ごとにそのことを説いている。
1番霊山寺の駐車場に車を置かせてもらってある。結願したら1番に戻り、車で高野山に向かうつもりだ。ところで、今時の車は、1カ月以上置きっぱなしにしていてもちゃんと動くだろうかね。

「あなた、お酒は?」と聞かれて「へんろ中のみ禁酒」と答えたら、「私もタバコは吸わないので、お酒を絶っている」。その隣で、淡路の男性は早いペースでコップ酒を空けている。毎晩飲んでいるとのこと。こちらの方は「同行二人」の地図を持っており、埼玉夫婦と同一行動をしているようだ。

今晩のお客
今晩のお客

マツキさんは、53歳だと言う。その若々しさからはとても信じられない。埼玉の御主人も、初めジョークだと思って「え? ああ、35歳ね」と信じていない。でも昭和20年生まれだと言うから本当なのだろう。とにかく若々しい。

サチコさんは、関西のある大きなお寺の娘さんで、歩き遍路は2回目だ。今回、初日に泊まった宿でたまたま相部屋になったマツキさんとほとんど一緒に歩いている。

埼玉の御主人は、しきりと僕に話しかける。他のメンバとは何度も同宿しているので話題も尽きているのだろう。僕は初めてなので新鮮なのだ。
「高知まで百何キロとか表示があるよね。あの数字が減っていくのが楽しみだね。二桁になったら、おっ、とか思ったりね」
ところが、僕は、やっばり六十代の男性よりは女性軍とおしゃべりがしたい。ここに微妙な三角関係が生じるわけである。一方、マツキさんとサチコさんは、特に男性陣には興味がなく、ビール1本を二人で分け合って飲んで盛り上がっている。毎晩飲んでいるようだ。

夕食後はデジカメで記念撮影だ。泊まったお客さんの写真がアルバムにきちんと整理されている。智祥さんの尼僧姿、arigatoさんこと大理さん、4回目の区切り打ちで出会った野宿遍路の海老原さん、「情け嬉しやお遍路ワールド」などの著書のある佐藤孝子さんなど、知った名前をみつけて飽きることがない。

マツキさんが、持参のコーヒー豆を使ってコーヒーを淹れ、希望者に振る舞ってくれた。

遍路ノート
遍路ノート

幸荘の優しそうな御主人は、サラリーマンである。以前は僕と同業であったらしい。パソコンの技術相談をもちかけられてしまった。200MHz、64MBのVAIOを使っているが、画像処理が遅いという。メモリを増やすと速くなるだろうか、デジカメから写真を一挙に取り込む方法はないか、など。残念ながら僕の知識では、あまり的確なお答えはできなかった。

もともと旅館として建てた家ではないので使いにくいという。実際、毎晩9時ごろまで宿泊客がリビングを占領しているわけだし、朝早い客が多いのだから、奥さんはくつろぐ暇もないだろう。御主人も仕事から帰ってきて、奥さんと一緒にお客の相手をしているわけで、こうした家庭的なもてなしが人気の秘密と思う。

奥さんは若干疲れ気味のご様子で、「猫のエサ代が出ればいいんです」と弱気なことをもらしておられたが、ぜひ末永く営業を続けてほしいものだ。多くの遍路が◎をつける宿の一つである。

42,043歩、28.3キロ。

掬水へんろ館遍路日記第6期前日翌日談話室メール