掬水へんろ館遍路日記第6期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第6期くしまひろし

第1日(4月29日)

再び、善通寺へ

JR善通寺駅
JR善通寺駅

車内のビデオでは「高松到着7:30」と表示され、予め調べた時刻表の到着時刻(7:02)と異なるので変だなと思っていたが、実際には、定刻より早く6時48分に高松に到着した。

バス停から駅まではかなり歩く。琴平電鉄の駅の前を通ってJR高松駅へ向かって歩いていると、遍路姿のおばさん2人とすれ違う。

JR高松駅のコンビニでおにぎりなどを買い、待合室で朝食とする。白装束に着替える。JR高松駅7時29分発の特急しまんと3号で善通寺へ。別に特急でなくてもよいのだが、このへんは30分に1本ぐらいしか電車がないのであまり選択の余地はない。途中の多度津で女性の遍路が一人乗車した。もう今朝だけで3人も遍路に出会っている。さすが遍路シーズンである。8時1分、JR善通寺駅着。

8時10分、JR善通寺駅出発。曇りで肌寒い。前回歩いた道を逆に行くだけなので大体検討をつけて歩いて行く。8時30分、75番善通寺到着。

ここは前回打ち止めとなったところなので、納経では重ね印を頂く。重ね印というのは、同じ札所の2度目以降のお参りのとき、納経帳に墨書はせず、朱印だけを少しずらして押すのである。何度も回って重ね印をしている人の納経帳のページは一面真っ赤である。

戒壇巡り

工事中の御影堂
工事中の御影堂

今回は「戒壇巡り」をしようと思う。これは、大師堂にあたる「御影堂(みえどう)」の地下の真っ暗なトンネルを歩く修行である。前回は戒壇巡りのことを知らなかった。その後本で読んだので、今度行ったらきっとトライしようと思っていたのだ。

ところが、御影堂に行ってみると、全体をシートで覆って改修工事中である。「これは入れないかも…」と思ったが、中は平常どおりで、戒壇巡りも受け付けてもらえた。

拝観料500円を払って中に入り、階段を下りて一回曲がると、もう真っ暗である。予め注意された通り、「南無大師遍照金剛」と唱えながら、左手を前に出し壁にあてて、そろそろと歩く。壁は奇妙にくねっており、方向感覚がなくなる。とにかく左手で触っている壁だけを頼りに進んでいく。後ろの方からご婦人中心の団体が歩いて来たようだ。「南無大師遍照金剛」の合唱が響くなか、先頭の人らしい声で「次は右に曲がりまーす」などとやっている。あれでは修行にならないのではないだろうか。

「お大師様のお声」(11秒)
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と、そのとき、急に明るさのある場所に出た。祭壇があり、近づくと、弘法大師様のお声で「ようこそお越しくださいました」と説話の音声が流れる。ふむふむ、なかなかよく出来ている。お話を伺い、さらに順路に従ってまた真っ暗闇の中を歩いていくとようやく出口に到着した。

全体で100メートルという。悪業のある者は出られないと言われているが、僕は無事に出られた。

歩き遍路たち

9時27分、善通寺を出発。日が照ってきた。雲はあるが好天だ。善通寺の前から本郷通りという広い通りを行く。風は冷たい。からっと晴れて冷たい風というのは歩くのに最適の気候だ。民家の庭先には藤や小手毬が美しい。

金色不動明王
金色不動明王

10時20分、76番金倉寺(こんぞうじ)に到着。納経所の前で、遍路の青年と話す。

青年の話

3月27日から歩いている。初めは天気が悪くて参った。野宿と民宿泊まり半々ぐらい。昨晩は75番の近くの接待宿に泊まった。今日はどこまで行くか特に決めてない。方向音痴なので、へんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人」(以下「同行二人」)の地図を見ながらでもすぐに分からなくなってしまう。町の中では、道を尋ねても、近道を教えられると余計分からなくなる。

「野宿なら民宿の場所に縛られないから、気ままに行けますね」と言うと、「僕の寝袋は薄いので寒くて」。

金倉寺は、広々として気持ちのよい寺。日溜まりのベンチでお遍路さんをながめてぜいたくに休む。今日は夜行バス明けの初日なのでゆったりとしたスケジュールを組んである。

10時55分、金倉寺を出発。山門から出てから道順がよく分からない。近くで庭の手入れをしていたご婦人に道を尋ねて歩き出す。しばらくして、逆打ちの男性に出会った。

逆打ち男性の話

これまで3回順打ちした。いずれも9月から10月。今回は88番から歩いてきた。野宿している。逆打ちは道しるべがあまり役立たないので、もっぱら人に尋ねながら歩いている。80番の先は花がきれいだった。個人の庭もきれいにしている。この辺りは、そういう楽しみが少ないね。土地柄かな。そういえば、今日は、77番でパンのお接待をしているよ。歩きの人と会うのは今日はもう4人目だ。女の子もいたよ。

「この先、どこかいいところありました?」と聞かれたが、僕は今回まだ歩き始めたばかりなので、有用な情報は何も提供できないのが残念だ。「逆打ちだからもう会えませんね」「そう一期一会だね」

秋山さんの遍路交流帳

県道から旧道に入り道隆寺に向かって歩いていると、公園のすみになかなか風格のある大木があった。心惹かれるものを感じ、写真を撮ろうとしてカメラを構えたが、なかなか全体がフレームに入りきれない。そのまま後ずさりしていたら、後方から突然犬に吠えられて肝を冷やした。その拍子に菅笠のひもがほどけて取れてしまった。公園のベンチでひもを直し、立ち上がり歩きだそうとしたとき、近くの路上で近所のご婦人と立ち話をしていた男性から「お遍路さん、ちょっとお接待あげるから待っていて」と呼び止められた。

秋山幸之助さん
秋山幸之助さん

すぐ近くのお宅に住む秋山幸之助さん(78歳)である。お宅からロイヤルゼリー入りのドリンク剤と、「別格札所巡り」やその他の遍路関係の新聞記事を集めたコピーの束を持ってきて下さった。ドリンク剤を飲みながらお話を伺う。

秋山さんの話

お遍路さんはやはり3月、4月が多い。いつも見張っているわけじゃないから見逃してしまう人もあるが、リンが聞こえたら飛び出して来る。歩き遍路は大体ここを通るはずだ。生まれてからこの地を離れたことはないが、全国の人と交流が生まれるのがうれしい。毎年回って来る人、アメリカ人と結婚した人、少年航空兵時代の後輩にも会った。

遍路交流帳というノートに、遍路からもらった納札や手紙などがきれいに整理されてあり、また秋山さんご自身のコメントが細かく記されてある。

12時20分、77番道隆寺(どうりゅうじ)に到着。山伏みたいな装束の男女の一団がいて、ほら貝を吹いていた。境内には松の枝が積み上げられ祭壇が作ってある。2時から護摩が炊かれるのだそうだ。時間がずれていて残念である。先程の逆打ちの男性が言っていたパンのお接待というのは見当たらなかった。

12時40分、道隆寺を出発。

丸八食堂
丸八食堂

12時50分、丸八食堂に入る。「手打ちラーメン230円」の看板に惹かれたせいもあるし、期待したパンのお接待がなかったので、急に空腹になった。野菜ラーメン(380円)を頼んだ。店内には「当店の麺は全部卵で練った全卵麺なので少し太めです」という張り紙もあったが、特に太い麺ではなく、柔らかいだけで、あまり感銘は受けなかった。野菜はたっぷり入っていたので満足である。

13時20分、丸亀市に入り、中津橋、塩屋橋を渡って、市街地に入っていく。だが、「同行二人」の地図にある目印のコスモ石油のスタンドというのは見当たらず、小学校のはずが市立幼稚園だったりして、かなり町の様子が変わっているようだ。幸い、土器川を渡る橋の位置は限られており、迷うこともなく、繁華街を抜けて14時30分、宇多津町に入る。

県道33号(宇多津町内)
県道33号(宇多津町内)

面白いのは、同じ県道33号なのに、宇多津町に入ったとたんに、歩道に街路樹やツツジの植え込みが整備されていることだ。

へんろ道の標識に従い、途中で右折して郷照寺を目指す。だんだん道がせまくなり集落の中の不規則な別れ道で方向が分からなくなる。近所の人を見つけて道順を尋ね、ようやくたどりついた。

郷照寺大師堂にて(11秒)
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14時50分、78番郷照寺(ごうしょうじ)に到着。高台にあるお寺で、境内からさらに階段を登ったところにある大師堂の中からは、太鼓の音が聞こえている。地下道のようになった「万躰観音の洞窟」には、一つ一つ願主の名前を記した金色の小さな観音像が無数に並んでいた。

境内の奥には美しい庭園があり、一巡り見ようとしたが、順路の表示に従ってもどうしても入り口付近から先には行けない。不思議な庭園だった。

15時17分、郷照寺を出発するとき、前方に菅笠に白衣の遍路が歩いているのが見えた。今日だけで歩き遍路3人目である。シーズンだ。

お寺への入り口近くに「地蔵餅」という店があり、のぞいてみる。1個50円と表示のあるよもぎもちを買おうとしたら、「それは固くて食べられんだろ」と言う。仕方なく100円の白いあんこ餅を買った。後から来た少年達には、「よもぎもちはオーブントースターでチンしてから食べなさい」と言っている。確かに遍路中では調理手段がない。

買い物袋をぶら下げたおばあさんがアメの入った袋を出して「飴あげるけん、なめもって行きな」とお接待。

坂出市に入るとすぐ、右に分岐して県道から旧道に入り、公園をみつけた。郷照寺にはベンチがなく、休憩できなかったので、この田屋坂公園にて休憩することにする。ベンチがない札所は珍しい。僕は、たいてい、札所では、まず手水で体を清め、次に荷物をベンチにおき、鐘があれば、1打撞いて、しかるのちにお参りすることにしている。そして納経ののち、場合によればベンチでしばし休憩するのが常である。その意味では郷照寺には、素敵な庭園はあったが、くつろぎの得られない寺であった。

東京の女(ひと)

10分ほど休んで歩き始めると、すぐにT字路に突き当たってしまった。地図と道路を見比べながら首をひねっていると、後ろから「どちらに行かれます?」と菅笠・白衣の女性遍路がやってきた。彼女は、郷照寺のあと迷ってしまったという。さっき見かけた後ろ姿が彼女だったのかも知れない。「どちらから?」と問うと「東京から」と言う。

東京の女(ひと)の話

3/15から番外も含めて回っている。初めは寒かった。3月下旬には雪が降り、番外の慈眼寺には積もっていた。八十八ヵ所は基本的に歩くが、番外へはバスや電車も使う。今日は万濃池のある別格17番神野寺まで行ってきた。5月10日ごろまでで終わる見込み。
前回は昨年10月ごろ歩いた。足摺岬では、翌日台風襲来の予報で、ぜひ泊まって見ていきたかったが、「道が通れなくなるから早く行け」と宿を追い出された。でも荒々しいすごい波で素晴らしかった。今日は川久米旅館に泊まる。明日は80番近く。幸(みゆき)荘は翌々日か。

迷ったとは言え、さすが2回目の彼女は、「こっちでしょう」と言いながらさっさと行く。僕は夜行バスで着いて、初日の歩きで疲れているのでのんびり歩きたいのだが、そんな僕におかまいなくスタスタと足が速い。僕に対して「あなたは?」というので、「ああ、また年下に見られているな」と思った。大体、僕は菅笠をかぶると薄い頭髪が隠れるので若く見えるのだ。このとき、僕は彼女のことを、せいぜい三十代後半だと思っていた。

裁縫

ビジネスホテルオマツ
ビジネスホテルオマツ

16時20分、ビジネスホテルオマツに到着。ボストンバッグ2個を両手に下げたビジネスマン風の男性が僕の前に入って行ったが、僕がドアを開けるとその人が「いらっしゃいませ」という。「え? お宅はお客さんじゃないんですか?」「いやそうなんだけど、僕はいつも来てるから。おおい、お遍路さん着いたから早くしてやって。ゆっくり休んで下さいね」と親切である。広島の人だそうだ。

汗を流し、洗濯物を階下のコインランドリに投げ込んでおいてから、近所のコンビニで夕食と明朝の朝食を仕入れる。明日の山歩きに備えてトマトも買っておきたかったが、ホテルの回りには売っている店はなかった。

ズボンの後ろポケットのボタンがとれている。出発前によく点検しておけば良かったが、今日一日の間にとれてしまったのだ。財布を入れる大事なポケットなので裁縫をするハメになった。4つ穴ボタンの止め方…小学校の家庭科に感謝。最近は老眼のため糸通しに苦労する。遍路に眼鏡は持って来ていない。気合で通す。

36,065歩、20.0キロ。

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