掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第5期くしまひろし

第6日(8月27日) 松屋旅館〜65番〜民宿岡田(池田町佐野)

朝のテレビでは、「南方から近づく台風4号の影響で、東日本は大荒れ」と言っているが、四国ではその影響はまだ出ていない。5時55分、出発。

朝から日差しがきついが、幅のせまい旧道は、建物の陰になっているところが多く、歩き易い。7時45分、並行する国道の方にローソンが見えたのでいったん国道に出る。桃の天然水とお握り、パンを買う。飲物類は、自動販売機で300cc入りを買うより、コンビニで500cc入りを買った方が割安だ。半分飲んで、タオルでくるんでザックに入れておくと、1時間後でも結構ひんやりとしている。ところで、この辺りはローソンが多い。松山の手前あたりはサンクスが多かったように思う。地域によってシェアの偏りがあるのが分かって面白い。

ローソンの前の公衆電話から、今晩の宿の民宿岡田に確認の電話を入れた。僕は、予約してある宿であっても、当日の朝にもう一度電話するようにしている。大体に、遍路宿は電話で予約してもこちらの電話番号を確認しないところも多いし、「はい、空いてますよ」というだけで、こちらの名前をメモしているのかどうかも怪しいところがある。不安なので、もう一度確認したくなるのだ。また、歩き遍路はどうしても予定が変わり易い。「当日もう一度連絡をくれ」という宿も多い。民宿岡田のおかみさんに「6時までには着く」というと「今どこ」と尋ねられた。どこと言われても「国道沿いのローソン」というのはいくつもあるだろうし、地名はよく分からないので「6時に松屋を出てきた」と答えると「あんたの足は分からないけど、もっと早く着くだろ」とのことだった。

ローソンを出て国道をしばらく歩いたところで、定期入れを拾った。半年で4万円なにがしのJRの定期券が入っており、10月10日まで有効なので、まだ1カ月以上残っている。国道を歩くのは、遍路と犬の散歩の人ぐらいなので、僕がみつけてしまったのだろう。交番は国道沿いではなく旧道沿いにあると推測し、旧道に戻ってしばらく歩くと、果して寒川駐在所があった。中は不在。呼び鈴を押して待つ。しばらくすると、浴衣姿のおじさん、じゃなかった警察官が、階段からのっしのっしと下りて来た。住所・氏名を書かされる。定期券以外にテレカ2枚も入っていたので、届けた甲斐はあるというものだ。

再建された道標
再建された道標

町の中の小さな空き地の隅に、立派な道標が立っていた。もともと明治14年に大西彦三郎という人によって建立されたものを、昭和58年に伊予三島市が再建したもの。町並みの中のあちらこちらには、他にも古い石の道標が多い。昔も遍路たちは、この道標を頼りに町中の路地を抜けて行ったのだろう。

酒屋の前を通り過ぎようとしたら、中で買物していたおばさんが飛び出してきて「おへんろさん」と呼びかける。賽銭のお接待を頂いたので、納札を渡しお礼を申し述べると「しっかりお参りしといてや」と念をおされた。賽銭の接待というのは、ある意味では『作業委託』でもあろう。遍路姿とは言え、まったくの乞食(こつじき)遍路は今や少なく、食べるに困っているわけではないことはお互い分かっている。遍路にお恵みを下さっているわけではない。小銭を差し出す地元の人々の心は、弘法大師の身代わりなる遍路への喜捨の念であるとともに、同じ民として「代わりにお参りしておいてね」ということなのだ。

戸川公園
戸川公園

水力発電所のそばを通って、ゆるやかに登り、9時20分、戸川公園に到着するころには、もう汗だくである。ここには、ダム工事犠牲者の慰霊碑や、四国遍路者の供養塔などが並んでいる。立派な休憩所、トイレと水道がありがたい。ゆっくり休んで汗を拭く。

しばらく住宅街の中の急坂を登り、家並みも途切れると、眼下に伊予三島市の眺望が開ける。三角寺への車道に出て、川之江市に入ると、あとは平坦な道が続く。最後に階段を登り切ると三角寺である。

和顔施

65番 三角寺
65番 三角寺

10時40分、65番三角寺に到着。山門に「(次の)66番雲辺寺への車道はがけくずれで通行止めなので、ロープウェイを使うように」と掲示が出ている。

山の上にもかかわらず、広々とした境内である。広い庭の隅にしゃがみ込んで草取りをしている女性がいたので、「今日は!」というと、顔一杯の笑顔で応えてくれた。辺見えみり的美人だった。雲辺寺へのルートについて尋ねると、「車道は通れないけど歩きの道は大丈夫」という。

先程の酒屋の前で出会ったおばさんの分や、これまで出会った人々のことを念じながら、大きな本堂にお参りする。納経は、PRO-KEDSのロゴの入ったTシャツの若者がしてくれた。辺見えみり的美人の弟だろうか。夏休み中の高校生かと思うほど若い。

境内にある四国のみちの六角形のあずまやを一人で占領し、ローソンで買ったお握りで昼食にする。辺見えみり的美人は、草取りを終え、雑草を詰め込んだ大きなダンボール箱を抱えて庫裏に向かう。何度かそばを通るときも素敵な笑顔を向けてくる。これぞ和顔施(わがんせ)だ。和顔施というのは、無財七施、すなわち金がなくてもできる施しの一つで、いつも笑顔をたやさないことをいう。向けられる笑顔一つで遍路はしあわせになる。大体において、お寺の方は、境内で近くをすれちがうことがあっても知らんぷりのことが多い。「今日は!」と声をかけても、静かに会釈してくれるのがいいほうだ。それだけに、この三角寺の彼女の和顔施はうれしかった。

静かな三角寺の境内でゆったりとした時間を過ごし、11時40分、出発。和顔施と、下り道の日陰で心なごませ、山を下りる。

椿堂の乙女

椿堂
椿堂

13時15分、別格14番 常福寺、通称椿堂に到着。

納経所では、遠藤久美子+藤田朋子的な乙女が出てきてきちんと正座し、ふだん着の上に輪袈裟をかけて丁寧に納経してくれた。暑い季節は、正規の札所でも、おっさんが下着のシャツのままで納経するところがあるが、それとは大違いだ。おまけに、歩きの人には納経料はお接待という。きのうの延命寺と同じで、別格札所は特に歩き遍路に思いやりがある。「冷たい麦茶でもいかがですか」とうれしいお言葉に「ありがとう。頂きます」。いったん奥に引っ込んで、りんごの冷えたのも2切れ添えて出してくれた。物静かなゆったりしたお嬢さんであった。

今日は、三角寺と言い、椿堂といい、静かなお寺で、すてきな女性から心温まるもてなしを受けて、幸せな気持ちである。

境目トンネル
境目トンネル

椿堂を出るとすぐに国道192号に入る。七田橋バス停を過ぎたあたりで「四国のみち」の道標は左に分かれる道を示している。民宿岡田を通らないで、直接、雲辺寺山に登ってしまうコースのようだ。そこでこれは無視して直進し境目トンネルに向かう。境目トンネルは全長855メートル。壁面の下半分が白っぽい素材で覆われているので、懐中電灯を点けなくても十分に明るい。

待ちぼうけ

15時30分には、民宿岡田に到着。カギが掛かっていて留守のようだ。予告した時刻より、2時間半も早く着いてしまったのだから、文句は言えない。道路に面したところが店になっており、店先にザックを下ろし座り込んで15分ぐらい待ってみた。が、帰る様子もない。約束の18時まで、このまま2時間以上待たなくてはならないのだろうか。裏に回ってみると別棟が宿になっているようだ。別棟の玄関にはカギがかかっていなかったので、ここでも声をかけてみた。返事はない。だが、玄関先にある電話機を見てひらめき、一旦外へ出て、駄目もとで電話をしてみた。すると幸い、自動転送になっていて、おじさんが応答してくれた。「ああ、今すぐ戻るから」と言ってくれたのでほっとした。

電話から10分ぐらいで、一家が車で帰宅。おじさん、おばさんが「済まん、済まん、待たせて」と言いながら降りてきた。九州からお孫さんが来ているので一緒に外出していたそうだ。せっかく楽しいドライブをしていたところを呼び戻してしまったようで、却って恐縮してしまった。

婚前旅行

夕方着いた逆打ちの男女はお坊さん同士。

「あんたら夫婦とちがうの」
「もうすぐそうなる予定なんです」
「なら部屋ひとつでもいいんじゃろ」
「一応坊主だからそうもいかんので、2部屋お願いします」

といった会話が聞こえてきた。

婚前旅行の2人と一緒に夕食を頂く。段田安則的男性の方は遍路は7回目。いつもは野宿で回っているが、今回はお荷物(彼女)がいるから宿に泊まっているという。この旅館には2年前に一度に世話になったことがある。女性の方もこの宿は2回目。清水よし子(ピンクの電話の細い方)的ソプラノが特徴の美人で、菅野匡夫さんの「お遍路実況中継」に出てくる永田智祥尼という方だ。前回歩いた春とこの秋には遍路道のあちこちで彼女の噂で持ち切りだったという。

段田的彼氏の方が長野から来たと聞いて、おかみさんが「善光寺かいな」と尋ねる。

「まさか! 善光寺の坊さんは、忙しくて遍路になんか来れないよ。ウチはもっと暇な寺だけどね、さすがにお彼岸までには帰らないといけないので、今回は一番まで回るのは無理だなあ」
「だけど、ええなあ、そうして二人で回れるのやから。いろんな事情で回ってる人あるけど、あんたら、なあんも悩みなんかないのやろ?」
「そんなことないよ。こう見えても、いかに衆生を救うかって、毎日悩んでいるんだから」。

二人は昨日は観音寺に泊まったというので、僕の宿の相談をしてみた。観音寺市は大きい町で旅館はたくさんあるので、まだ決めていなかったのだ。二人が泊まった藤川旅館は「安かろう良かろう」でお勧めだというのでリストにマークした。

明日も早朝出発なので、朝食用にお握りを作ってもらうことにする。「この季節は弁当は作れんよ。出発前に必ず食べて行ってよ。前はどうしてもと言われて作ったこともあるけど、O157とか騒ぎになってからうるさい。絶対に食べて行ってや。持っていったらダメ。何かあったらおおごとなんだから。」と、おかみさんからしっかり念を押された。

以前は仕事の客も泊めていたが、今はお遍路さんだけで一杯だという。横峰寺の手前の栄家旅館や、ここ雲辺寺の手前の民宿岡田が廃業してしまったら歩き遍路としては大変不便になるだろう。ぜひ続けてほしいものだ。

雲辺寺への道順案内はご主人の担当になっている。遍路みちへの入り方や途中の目印など、詳しく説明してくれた。「車道は通れないそうですね」と尋ねると、「本当は、行こうと思えば、行けないことはないんだよ。ロープウェイに乗って欲しいから、通れないことにしてるんだろ」とのことだった。

九州から遊びに来ているというお孫さん2人は、中学〜高校くらいの美人姉妹。食事の片付けなど手伝っているらしく、何度も廊下を通る。暑いので障子を開けたままにしてあり、「今日は」と声をかけると恥ずかしそうにあいさつしていった。

遍路日記

遍路日記の数々
遍路日記の数々

部屋には、10冊以上の遍路日記がおいてある。この宿に世話になった遍路たちが送って来たものだ。コピーをホチキスで止めただけのもの、タイプ印刷風のもの、外国人のもの…様々である。同じ人がシリーズで作っているものもある。

他人の遍路日記を読むのは楽しい。御夫婦で、夫が歩き、妻が交通機関を使い、要所要所で待ち合わせながら回っている人もあった。冬に歩いたアメリカだかイギリスだかの女性は、自動販売機の温かいココアを楽しみに歩き、遍路を「ココティーンの旅」と名付けていた。時を忘れて読みふける。コピーできないのが残念だった。

僕自身においてもそうだが、遍路体験には人に「書く」衝動をもたらす作用があると思う。貴重な体験を思い出の中で風化させずに、何とかかたちにして残したい、また他人と共有したいということを切実に感じるのだ。

今晩の宿泊客はカップル僧侶に加えてもう一組、区切り打ちで今回ここから始める夫婦が着く予定とのことだったが、翌朝になっても玄関にはも履物が増えていなかった。キャンセルしたらしい。

65番の三角寺で菩提の道場を終え、明日の雲辺寺から最後の「涅槃の道場(香川県)」に入る。しかし、正確には、ここ民宿岡田や雲辺寺の所在地は徳島県である。遍路コースは徳島県の一角をかすめているのである。

いよいよ明日は、四国八十八ヵ所中最高峰の雲辺寺に挑む。窓の網戸から聞こえてくる鈴虫の声に都会とは違う夜を感じながら寝る。

50,295歩、31.1キロ。

掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室メール