掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第5期くしまひろし

第5日(8月26日) 湯之谷温泉〜松屋旅館(土居町中村)

6時40分、出発。前夜、「朝食は7時から。朝食抜きでも、6時以前には出発できないと」のことだった。前夜のうちに支払いを済ませて、「朝食は不要、6時半に出発する」と言っておいた。ところが、起きてみると、客室のある別館からは外に出られるものの、本館に入れない。靴が本館の玄関においてあるので、これでは出発できない。あちこち扉をドンドン叩いて、やっと開けてもらうことができた。

玄関前のベンチで身支度をしていると、バイクのツーリングらしきカップルがやってきた。本館の入口の表示を見て、入浴は朝9時からだと知り、がっかりしている。

丸ナスお接待

ナス畑
ナス畑
丸ナス
丸ナス

7時15分、畑のナスを収穫中のおじさんに出会った。大きな丸ナスを次々にプラスチックの箱に詰めていく。僕自身も市民菜園を借りてナスを育てているので、プロの育てたつやのある丸々としたナスが箱一杯になっていくのに見とれてしまう。

「立派なナスですね」
「こんなんで良かったら持っていって」
「遍路中だからなかなか料理するわけにいかないし…」
「15ミリの厚さに切ってな、ポリ袋の中で塩と一緒に揉むとおいしい。簡単だよ」

結局、大きなナスを3個もお接待されてしまった。かなり高いうねを盛り上げてあるので不思議に思って尋ねると、畝間灌水という方式だという。水を引く施設がないので、畝の間に水を貯めて、乾燥を防ぐのだそうだ。

学校はまだ夏休み中のはずだが、部活か登校日か、自転車の学生が2人・3人のグループで次々と行く。「おはよう」と声をかけると、決まって中の一人だけが「おはようございます」と返す。自然とリーダーシップを取る人間が決まっているんだなあと、社会学的観察をする。

住宅街の中で、赤んぼを抱いた若いお母さんに、「おはようございます」とあいさつすると、ニッコリ、実に素敵な笑顔を返してくれた。歩き遍路をしていると、ある年代以上の人は、こちらの挨拶に「ははあ」とか「ようお参り」とか応じてくれるのが普通だ。ただ、地元の人々は遍路を見慣れているせいもあるのか、型通りという感じもする。でも、このお母さんの笑顔は、特に心がこもっていた。そう感じたのは、彼女がかたせ梨乃と高島礼子を足して2で割ったような美人だったせいかもしれない。

9時、国道に出ると、日が照りつける。ナスも加わってザックが一段と重い。腐りかけた小屋のそばに日陰を見つけて一休みする。まだ10時前だ。

宅急便お接待

宅急便を送ることにする。少し荷物を整理して少し身軽になるためだ。10時、新居浜市に入ったあたりで、道は再び旧道に入り、宅急便の扱い店を探す。

この付近は、ヤマト運輸のシェアが非常に高い。ほぼ50メートルごとに「時間帯お届け」ののぼりがはためいている。10軒に1軒ぐらいペリカン便があるが、その他の運送会社の取り扱い店はまったく見当たらない。もっとも、のぼりが立っていても、店自体が閉まったままのところも多い。どこにしようかとキョロキョロしながら歩いていると、並行する国道沿いのホワイト急便の店が目に入った。近づいていくと営業中らしい。

クリーニング屋さん
クリーニング屋さん

ザックを下ろして、送るべき荷物を出そうとしていると、中から女主人がニコニコしながら出てきて、「中が涼しいから、早く入んなさい」と迎え入れてくれた。店内には、お客のおじいさんが一人座り込んでおしゃべりしていたようだ。「ほら、お接待、お接待。ジュースかなんか買って」と女主人に急かされたおじいさんが、外の自販機で買った冷たい缶コーヒーをお接待してくれた。

小さな段ボール箱をもらい、自宅に送る衣類、撮影済のフィルム、不要な薬などを詰める。ナスも3個のうち2個は自宅に送ることにして、一緒に詰める。

女主人が「今日は三角寺までは無理ね。延命寺あたり?」と問い、おじいさんは「この人は、お遍路のことは詳しんだよ」と説明する。しばらく、お遍路話で盛り上がる。

女主人の話

徳島の10番までの初めはの方は楽だけど、土佐に入ると、途端に間が長くなるのよね。全部歩いて回ってるの? うらやましい。
私もね、今までに3回回った。歩いてじゃないけど。最近は、番外のお寺を中心に回っている。
お遍路さんは毎日通るよ。私はね、遍路の人を家に泊めて食事をさせてあげたこともあるし、中萩の駅(ここから500メートルぐらい)まで食事を運んでやったこともあるんよ。私も歩き遍路したいわ。定年になったら行こう。

一方、おじいさんの方は、あまりお参りにも行かないし、遍路のことはよく知らないようで、お接待のお返しに差し上げた納札を珍しそうに見ている。「おじいさんの代わりにおがんでおきますよ」と言っておいた。

宅急便の送料を払おうとすると女主人は「これは私のお接待」と言って受け取らない。最初から最後まで、あたたかくもてなしてもらい、しあわせな気分で、歩きだした。

スーパーでトマトを買う。

道案内お接待

喜光寺商店街
喜光寺商店街

再び旧道を歩き、喜光寺商店街に近づく。アーケードのある賑やかな一帯だ。商店街の手前で、車で通りがかった中年の男性から、賽銭のお接待を受ける。「自分も遍路をしている。歩きはようせんけど」という。地元の人らしいので、近くの食堂の場所を尋ねた。教えてもらったアーケード街の中のラーメン屋は、しかし閉まっていた。他にはないかとうろうろしていると、先程の男性がわざわざ車で追いかけてきて「ああ、今日は休みか。そしたら、商店街を出て左に曲がったところにもあるから…」と、親切に教えてくれる。

「小麦」といううどん屋に入った。店内には「新居浜太鼓台」などと文字の入った色々なデザインの法被が飾ってあり、壁には太鼓祭りの写真が所狭しとかかっている。そしてカウンタの向こう側では、やはり法被姿の万田久子的ないなせなおねえさんが厨房を仕切っている。

メニューを開いて「ソーメン」の文字を期待したが残念ながら、それはなかった。季節メニューの「抹茶冷麺」というのを頼んでみる。焼豚やゆで卵の入った結構ボリュームのある食事だった。お冷やはセルフサービスなので、冷水機から何度も注いで飲む。

お勘定のときになって、お運びをしていたオバサンが、レジのにいちゃんに「消費税は入れんといてな」とそっとささやいた。さりげないお接待に感激。

「こたないか」
「こたないか」

12時45分、再び国道に合流。国道の脇のコンクリートに腰掛けて、トマト2個食べる。

関の原というゆるやかな峠の先で、国道から脇道に入るところに「酒の事故こたないかでは すまんぞな」という立て札があった。これはどういう意味だろうと首をひねっていると、近くの民家の庭にいた木村太郎的紳士と目が合った。これ幸いと尋ねてみると「これまで、何人もに聞かれました。『こたないか』とは、ここらあたりの言葉で『たいしたことはない』という意味」という。「ほんとにもう何人も聞かれました」と強調していたのが印象的だった。

ようやく遍路に出会う

2キロぐらい歩いたころ、扉を閉じた商店の前に座り込んで経本を読んでいる一人の遍路がいた。今回、初めての歩き遍路との出会いだ。福岡から来た村上幸壱さんだ。銀マットを持っているので「野宿ですか」と尋ねると、「3年間、野宿を続けるんだ。今年の5月から始めて、今3巡目」という。

村上さんの話

今回は横峰寺から石槌神社まで行ってきた。神社の手前の先達の家でツマミ、神社で神主から酒を接待された。安い店で棒状のラーメンをたくさん買い込んだので荷物が重い。無一文でスタートしてお接待だけで食べている。野菜なんかもお接待でもらう。托鉢はしない。
クマさんを知ってるか。前は長戸庵(12番焼山寺への遍路ころがしにある)にいたが、今は24番の下の洞穴(奥の院)を根城にして托鉢している。2日間一緒に過ごしていろんな話をした。3500円のお接待までもらってしまった。托鉢から接待されるなんてね…
昨夜は地蔵原の地蔵堂で泊まった。近所の人が台所を開けてくれたけど、水道だけ拝借して、外で寝た。とにかく家の中では寝ないことしている。
前に、山でひどい雨に降られて歩けなくなり、「もう遍路はやめて家に帰ろう」と思って、野宿を断念して、ふもとの旅館に泊めてもらおうとした。ところが「空いてない」とけんもほろろに断られた。仕方なく、一晩中、山の中で立ちつくして夜明けを待った。まあそのお蔭で今でも野宿遍路を続けているわけだけど。あの時泊めてくれていたら、自分の遍路もそこまでだった。

村上さんは、20年前に1度30番まで回ったことがある。本職は大工で、年齢は僕と同じ48歳だ。奥さんもいるらしいが、仕事を捨てて3年間の野宿遍路に出るその思い底はうかがい知れない。荷物は意外に小さく、ほとんどが食料。タオルや懐中電灯をお接待してくれるという人もいるが、荷物を増やしたくないのでもらわないという。

後日、菅野匡夫さんの「お遍路実況中継」の「札掛大師復興記」に協力者(手伝い4日)として村上さんの名前をみつけた。

村上さんと藤田さん
村上さんと藤田さん

座り込んで村上さんと話していると、もう一人遍路が歩いてきた。キャリーにザックを載せて引いている。舗装道路では楽そうだ。愛知から来た藤田康夫さんで、区切り打ちをしている。毎年、春と夏に8〜9日間の休みをとって、2年間で1巡するというペースで歩いている。藤田さんは52歳で、バス運転手である。お客さんを案内しての遍路は何度も来たが、歩いての遍路はこの区切り打ちで2巡目だという。

藤田さんの話

区切り打ちのため、春と夏に8泊9日ほどの休みをとる。会社では「どうしてそんなに休むのか」といつもけんか腰だよ。2晩野宿して、3日目に宿に泊まるというペースで歩いている。風呂にも入りたいし洗濯もあるからね。きのうはビジネス旅館小松に泊まった。宿は、最初は『同行二人』の地図についている一覧表から、距離だけで選んだが、良かったところには◎をつけてある。小松は良い。
荷物を減らそう減らそうと思うが、結局この重さになってしまうね。本当は無駄なものも多い。懐中電灯はほとんど使うことがない。カメラも、2巡目となるとお寺の写真も撮る気にならないので、今回は、まだ1〜2回しか使っていない。でも、要るかもしれないと思って色々入れてしまうんだ。
定年までにあと3回は回れるかな。

別格12番 延命寺
別格12番 延命寺

藤田さんは今回は明日で終わり。三角寺に登りそのまま帰るという。1時間ちかくもしゃべっていただろうか。そろそろ二人に別れを告げて歩きだす。

15時50分、別格12番延命寺である。新築したばかりの大師堂が清々しいが、まだ弘法大師は納められていない。本堂でまとめてお参りする。 「歩きの人にはお接待です」といって納経料は受け取らない。

松屋旅館

松屋旅館は、民宿風のへんろ宿ではない普通の旅館だが、遍路もたくさん泊まるようだ。藤山直美的おかみさんが、早速「明日の岡田屋さんは予約してる? あそこは予約しておかないと泊まれませんよ」と心配してくれる。四国八十八ヵ所中、最高峰の雲辺寺に登るのに、適当な宿は、ふもとの民宿岡田しかないのだ。

松屋旅館のおかみさんの話

松屋旅館
松屋旅館

お遍路さんもお盆の頃は多かったけど、もう余り来ない。秋になるとまた増える。秋には2年に1度鯖大師の40人位の団体が歩いて来る。
今年の夏は暑かった。歩きの人は「この暑さはたまらん」といって、みんな4時ごろ出発して行った。ここ数日はようやく過ごしやすくなってきたわね。
(神戸の)震災のあと特に歩き遍路が増えたようだ。猿岩石の影響もあるかもしれない。若い人は、体力を過信して向こう見ずに軽く考えて来る。1番から通しで歩く人で、ここまで27日目とか28日目とか、20日台で来る人はあぶない。30日目を越えている人は1日35キロぐらいのペースなので大丈夫。
前に20日台でウチに着いて、翌朝「歩けない」といって這って起きて来た人がいた。医者に見てもらったら疲労骨折寸前だったとのことでドクターストップ。3日目にどうにか出発して岡田屋さんから「無事着いた」と連絡があったので安心したけど、雲辺寺には登れたのかどうか…。

「明朝の朝食用にお握りでも」と頼んだが、「今の季節は弁当は作れない。昔は頼まれれば作ったけど、最近は、O157とか色々保健所もうるさいし、万一何かあったら大事になる」といって、近所のスーパーでパンを買うことを勧められた。

昨晩は、出会いの乏しさを嘆きながら床に着いたが、今日は打って変わって様々な出会いに満ちた1日であった。

49,685歩、27.9キロ。

掬水へんろ館遍路日記第5期前日翌日談話室