掬水へんろ館遍路日記第5期翌日談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第5期くしまひろし

第1日(8月22日) 53番円明寺(松山市和気町)〜コスタブランカ(北条市浅海町)

早起きは3割の得

自宅を朝4時40分に出て、羽田空港に向かう。6時55分発のJAL161便に乗るためだ。外は夜明け前で、まだ暗い。

今日のスケジュールは余裕があるので、こんなに早い便に乗らなくてもいいのだが、これもお金節約のためである。28日事前購入割引などを使うと5割ぐらい安くなる場合もあるが、多客期には使えない。また、僕の場合、いつも直前にスケジュールを決めるので、他の早期購入割引の席も売り切れてしまう。しかし、JALの第1便であるこの便には、「特売り割引」と言って余席があれば前日でも買える割引が設けられている。去年の夏に徳島に飛ぶときに利用した、JASの「早起き割引」と同種のものだ。8月25日までは多客期で、普通運賃24,450円だが、この割引を使うと3割引の17,100円となる。

羽田空港の搭乗口
羽田空港の搭乗口

羽田空港に着くと、夏休み中とあって早朝から混雑している。搭乗口は手荷物検査を受ける人で長蛇の列である。去年の夏は、ここで台風のため飛行機が飛ばず、自宅に引き返す羽目になった。そのとき、遍路姿のコクブさんとも出会ったのだが、今年は遍路姿の人は見当たらないようだ。やはり8月も下旬となると、今から遍路に出る人は少ないのだろう。

だいぶ余裕をみて家を出てきたので、6時ごろには羽田に着いてしまって時間を持て余し、おまけにJAL161便は出発が25分遅れて、7時27分にようやく動きだした。早朝便には軽食のサービスがあり、3色お握りが美味であった。

杖を待つ

松山空港に着き、預けたザックと杖が出てくるのを待つ。だが、ザックだけ出てきて杖がなかなか出て来ない。ベルトコンベヤの上では残った2〜3個の荷物が回りつづけているだけである。金剛杖はお大師様の身代わりである。ここまで一緒に歩いてきたのだから、羽田で積み込むのを忘れたなんていわれたらどうしよう。待ちくたびれて、空港係員に手荷物の半券を示すと、僕の杖は残った荷物の中の一つの頑丈なジュラルミンケースに納められていたことがわかった。荷姿が全く違うのだから分からないわけだ。係員が恐縮して杖を取り出し渡してくれた。

金剛杖は、長いためか、凶器に成りうるからか、機内持込みはできない。預けるしかないのだが、航空会社や空港によって取り扱い方が異なる。今日のようにジュラルミンケースに入れられたのは初めてだ。多くの場合は、航空会社のロゴの入ったビニールとガムテープでぐるぐる巻きにして積んであることが多い。1度は裸で、タグをふわっとかぶせてあるだけのこともあった。また、杖だけ別に、係員のカウンタのところに届いていて、今回のように待ちくたびれた末に判明したこともあった。

遍路ツアーの広告
遍路ツアーの広告

8時50分、松山市内行きのバスに乗る。車内を見回すと、伊予鉄道バスの『日曜遍路』『平日遍路』という宣伝が掲示されている。さすが本場だ。それぞれ1日、あるいは2泊3日くらいで、隣接した何箇所かの札所をめぐるツアーになっている。何気なく見回しただけで「遍路」の文字が目に飛び込んで来て、「お四国」に戻ったことを実感する。


「わけ」が分からん

30分ほどで松山駅に着いた。前回は53番円明寺で打ち止めとしたので、まずその近くの伊予和気まで電車で行く。松山駅から駅にして2〜3個、数分のところである。

JRの料金表
JRの料金表

ところが、運賃表を見て驚いた。1410円となっている。そんなはずはない!

前回、円明寺で打ち止めとし、すぐ近くの伊予和気の駅から松山まではほんの数分だった。その伊予和気まで1410円もするはずがない。僕は何かとんでもない勘違いをしているのだろうか。ボケたのだろうか。パニックに陥る。ここは松山だよな。飛行機に乗り違えたなんてないよな。松山じゃなくて高松だったんだっけ? いや、前回、最後に泊まった道後温泉からは半日歩いただけだったんだから、松山に間違いないはずだ。

でも、何度見ても料金表には「いよわき1410円」と書いてある。何度も見た。「いよわき」…「いよわき」…「いよいわき」??? え? 「いよわき」ではなく「いよいわき」と書いてあることに気がついた。おっと危ない。心を落ち着けて深呼吸し、しっかり、よ〜く見ると、ずっと先の方に「いよわけ210円」があった。これこれっ。

僕は「和気」は「わき」と読むのだとばかり思っていたので、「いよいわき」を無意識に「いよわき」と読んでいたのだ。そうか、「わけ」なんだ。しばしの理解不能の悪夢に、冷や汗が出てきた。早朝出発で注意力が鈍っているのかもしれない。

電車は1両編成のワンマンカー。さっそく隣のおばちゃんが「今日はどこまで?」と話しかけてくる。まだ白衣に着替えていないが、菅笠と金剛杖で僕が遍路であることは一目瞭然だから、こうしてすぐに会話が成り立つ。

「区切り打ちで、きょうは53番円明寺から始めます」と話すと「円明寺は駅のすぐそばだよ。もう一つ『たいさんじ』も近いよ」「泰山寺は明日行く予定だけど、40キロ以上先でしょう。僕は歩きだから今日はとても行けません」「いやいや、歩いて行ける。まっすぐ4キロぐらい」と、おかしなことを言う。56番泰山寺はずっと先で、とても4キロどころではないはずだ。それとも、札所を順番に回らないで直行すると近い位置に当たるのだろうか。あるいは、そういう名前の番外札所があるのかもしれない…と首をひねりながら、伊予和気で電車を降りた。こうして、初日からわけの分からんことは続く…。


笠の向き

菅笠
菅笠

駅の前で、白衣に着替え、歩きはじめる。日が照っているが、菅笠はかぶらず手で持った。これには理由がある。数日前、菅笠のひもを洗濯するためにはずした。そうしたら、笠の前後が分からなくなってしまった。菅笠には、色々な文字が書いてあるので、かぶる時の決まった方向があるはず。買ったときに教えてもらったのだがすっかり忘れてしまった。いつもは、ひもの左右にあわせてかぶっていたので気にしていなかった。

出掛ける前に、遍路関係の本に載っている写真や、3月にNHK教育テレビで放映された「おしゃれ工房」のビデオを見たりして、どういう向きに笠をかぶっているのか確認しようとした。しかし、笠をかぶっている人を前から見ると、ほとんど笠の外側は見えないので、結局よく分からなかった。そこで、今回最初の札所である円明寺の納経所で教えてもらい、確認してからかぶることにしたのだ。

5分で53番円明寺着。前回ここを訪れてから4ヵ月足らずであり、境内の風景も記憶に新しい。お参りを済ませ、納経所に行くと、先客のおじさんがいて、何と掛け軸30本、納経帳52冊を持っている。住職と並んでせっせと納経している奥さんが、おじさんに尋ねている。

「きのう、100本持って回っている人がいるという噂を聞いたが、あんたのことかな」
「私のことだろう。100本は大げさだけど、話は大きくなるからね」
「納経帳は全部書くの?」
「えっと、重ね印が1冊だけあるけど、あとは全部初めてだから」(注:2巡目以降の納経では、墨書はせずに朱印を押すだけ(=重ね印)なのですぐ済む)
「あと全部書くん? ほな、1時間ぐらいかかるな。急ぐかな? 今日は息子が学校に行くんで食事の支度してやらないかんし、おとうさんは(住職)はこれからお葬式あるき…」
「急がないからゆっくりでいいよ」

僕は納経帳1冊だけなので、先に書いてくれた。菅笠の前後を尋ねてみたが、住職もあまり確信がないようだ。「最近は笠の人も少ないし、前後は聞かんな」。奥さんの方が「その梵字(ぼんじ)はお大師さんの梵字やな。だからそこが前じゃないのかの」。

どうも要領を得ないので、境内の電話ボックスから、1番霊山寺に電話してみた。電話に出た女の人は、僕の質問に間髪をいれず即答してくれた。「梵字が前です」。さすが1番だけのことはある。梵字というのは、上の写真で左下に見える記号みたいなもので、元はサンスクリットの文字だ。納経帳にも、それぞれの寺院の本尊を表す梵字を書く。

教えてもらった通り笠の向きを合わせてひもを付け、10時30分、円明寺を出発。強い日差しの中を歩きはじめた途端に、折角持ってきた日焼け止めクリームを塗るのを忘れたことに気がついた。杖を持っているせいか、手首の上のところがじりじりと焼ける。

肩まで浸かった道しるべ
肩まで浸かった道しるべ

団地のそばの公園にしゃがみこんで一人で遊んでいた小学1年生位の男の子が、僕を見上げて「旅人さーん」とあいさつしてくれた。今回、歩き始めて最初に交わしたあいさつだ。「旅人さん」か…何だか童話の登場人物みたいだな。

住宅街の中の舗装道路に、首まで埋もれて「遍路道」の「遍」の字だけがかろうじて見える道しるべがあった。川沿いの道路であり、元は起伏があったところを平坦な道路に整備したため、路面が高くなってしまったのだろう。ちゃんと昔の道しるべを残しておいてくれることに感謝しつつ、できたら一旦掘り起こして、新しい路面の上に立ててくれたらいいのにと思うのは贅沢な望みか。


瀬戸前の回転寿司

きときと寿司
きときと寿司

11時20分、「きときと寿司」という回転寿司屋があった。『同行二人』の地図にある「カフェトレイン」の少し手前だ。朝早かったのでもう空腹だし、何より、道路脇に立つのぼりの「江戸前」ならぬ「瀬戸前」に好奇心が湧いた。

ここは、ホテル・リバティというモーテルと同じ敷地内に立っているようなのだが、店内は広くて明るく、座席は家族連れで3分の2くらい埋まっていた。僕は、鰻、袖長(びんちょう)マグロ、エンガワ、鰹のタタキ、鮭、しめサバの6皿を平らげた。瀬戸内海の魚ばかりではないだろうが、ネタはすべて皿からはみ出んばかりに大きく、新鮮で、素晴らしかった。

やがて、国道196号は海沿いに出て左に瀬戸内海、右にせまる山すそに道路と並行してJR予讃線が走っている。土佐の海と違って、瀬戸内海の波はおだやかに寄せては返している。

花へんろのまち
花へんろのまち

12時すぎ、北条市に入る。「四国のみち」の地図看板を見ているうちに、今朝、予讃線の電車の中で隣のおばさんが言った「たいさんじ」の謎が解けた。おばさんの「たいさんじ」とは、円明寺一つ手前の52番太山寺のことだったのだ。僕は遍路として順回りしているので、52番は既に済ませているため、「たいさんじ」と言われると無意識にその先の56番泰山寺(たいさんじ)のことだと思いこみ、話が食い違ってしまったわけだ。

北条市の中心部に近づくと「花へんろのまち」という大きな看板があった。四国をめぐって来ると、一口に「お四国」といっても、土地の人々の遍路に対する姿勢には、場所ごとに微妙に違うものがある。こうして、町全体で遍路を迎える雰囲気が伝わってくると、やはりうれしい。住宅地を過ぎ、道は郊外に出て、しばらくして国道から鎌大師への脇道に入り、ゆるやかに丘を登っていく。


手束妙絹さんに会う

14時20分、鎌大師に着いた。境内に入ると、母屋の方からテレビの高校野球の放送が聞こえている。どうやら留守ではないらしい。お参りを済ませて、玄関をガラガラと開けると、この鎌大師の庵主、手束妙絹尼その人がいた。

手束妙絹さんは、歩き遍路のあこがれの人である。明治42年生まれの89歳。終戦後、結婚生活と息子を捨てて身一つとなり、紡績工場などで働いて、昭和40年、55歳のとき、熱海のマンションに移り住み、お茶の先生をしながら、好きなときに温泉につかるという生活をしていた。たまたま参加した小豆島遍路で四国遍路に興味をもったことから、本四国を歩きはじめて「お四国病」にかかり、毎年歩き遍路をされて、巡ることついに15回。そうして昭和54年、70歳になろうというとき、縁あって、ここ鎌大師の庵主となられたのである。

遍路中に、また、庵主となられてからの様々な人との出会いは、その著書『人生は路上にあり』『お遍路でめぐりあった人びと』に詳しい。53番札所から54番札所に向かう車遍路の人々は、ほとんど国道196号を走り抜けてしまうが、歩き遍路の多くは、手束妙絹さんに一目会いたいと思い、昔ながらのへんろ道をたどってこの鎌大師を訪れるのである。

手束妙絹さん
手束妙絹さん

「もう私も90だからね。遍路にも行けないと思っていたが、今年の6月に『どうしても』と誘ってくれる人があって、車で88カ所を回った」と、嬉しそうにそのときの写真を見せてくださった。「きのうはお祭りだったので、片付けで疲れた」とのことだったが90にしてはしっかりとしてお元気そうだった。

玄関には、前記の2点の著書が積み上げてあり、「歩きの方には差し上げます」と言われたが、僕は2冊とも持っているので辞退した。

缶入りのサイダーを御馳走になり、さらに1本持たせて下さった。帰り際、僕の2倍近い年齢のこの遍路大先輩から、「まだ早いから、あんたの足なら今治まで行けるわよ」と言われたが、「いや、暑いし今日は初日なので、このちょっと先で泊まります」と言わざるを得ない自分がちょっと情けなかった。


コスタブランカ

コスタブランカ
コスタブランカ

14時40分、鎌大師発。地図ではほぼ一直線に丘を下りるように見えるが、実際の道はくねくねとして長い道のりだ。早朝出発と、暑さの中の歩行のため、かなり疲れを感じる。事前に旅程を組んでいるとき、初日に今治市内まで行く案も考えたが、初日ゆったりコースにしてよかった。国道に出て、少し戻ったところに今日の宿がある。15時20分、コスタブランカ着。

ここは、1階が古道具屋、2階はレストラン、3階が民宿になっている。おかみさんに「歩き遍路はヒマとお金と健康がないとできないね」と言われた。確かに、歩き遍路ができるだけのヒマとお金と健康を感謝すべきなのだろう。でも、これでも、ヒマとお金と健康を工面するためには相当無理しているのだ。「そのお金で商売しているあんたに言われたくはない…」などという気持ちが湧いて来るのは、区切り打ちの合間に俗世間の感覚にまみれてしまったせいか。とはいえ、2食つきでこの値段は、今まで泊まった中で一番安い。

他のお客はみんな仕事関係だ。5時過ぎに、僕が早い夕食を終えて2階のレストランを出ると、そろいの青い作業服を着た数人のグループが車で帰ってきたところだ。ここに滞在しているらしい。うち1人は、肌の色の濃い外国人で、耳輪をつけていた。

30,754歩、16.2キロ。


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