掬水へんろ館遍路日記第4期前日あとがき談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第4期くしまひろし

第8日(5月6日) 道後ビジネスホテル〜52番〜53番円明寺(松山市和気町)

世間は平日

道後の街中に立つ道標
道後の街中に立つ道標
(写真は前夜に撮ったもの)
5時半にはすっかり目が覚めてしまった。ぼーっとテレビを見ていると、きょうは「立夏」で、水田のかえるが鳴き始める日だとで言っている。

きのう、浄土寺で買物おばさんからお接待いただいたアンパンで朝食とし、6時55分、ホテルを出発した。松山市内の市街地を道順に注意しながら太山寺への道をたどる。

8時ごろになると小学生から高校生まで通学の人並みが道にあふれ出た。世間では連休も終わり、日常の生活が始まっているのだ。遍路中に出会う子供たちにいつもしているように「こんにちは」と声をかけるが、この辺の子供からは返事がない。場所によるのかなあと思って、声をかけるのをやめて歩いていたら、今度は逆に、すれ違った女子中学生から「おはようございます」とあいさつされてしまった。反省した。返事があるからする、ないからしないというものでもないだろう。また挨拶をすることにした。返事が帰って来るか、あるいは先方から先にあいさつして来るのは、小・中・高問わず、まあ10人中1〜2人というところか。

古三津廻りという、南回りのコースをとって、住宅街に入っていくと目標がないので道順があやふやになる。「同行二人」の地図に「たへんろみち保存協力会」の宮崎さんのお宅がMという記号で記してあるので、このへんのはずだと探したがみつからない。「宮崎」という表札の家はあるのだが、番地が違っていた。できたら、感謝の気持ちを込めて納札を郵便受けに入れて行こうと思っていただけに、残念だ。

道は住宅地を抜けて、工場、事務所、産業廃棄物処分場など、産業地域を行く。みんな働いている。平日に遍路をする後ろめたさを覚える。

太山寺

52番 太山寺の山門
52番 太山寺の山門
9時10分、52番太山寺の山門に到着。ここから本堂まで何とまだ570メートルもある。9時20分、ようやく52番の本堂付近に到着。きょうは平日とあって、さすがに遍路や観光客は少ない。ここまで来る途中の納経所で、一人で歩いている中年の女性をみかけたぐらいだ。

ベンチに荷物を下ろして一休みしていると、ベンチに掛けていた近所のおじさんが話しかけて来た。

近所のおじさんの話

昭和50年ごろ車の免状を取って、休みのたびに妻と一緒に回りはじめたんだ。4番だったかね。納経帳書いてもらったのを妻と見比べたら、寸分も違わない筆跡なので「うまく書くもんだなあ」と感心してしまった。でも、よく見たら版で押してあった。ちょっとありがたみが少ないと思った。うん、後から聞いたら、版で押す方が本式なんだってね。そのときは知らなかった。
ずっと歩いているのか。偉いね。
今日も暑いね。今からこんな暑さだったら、夏になったらどんな暑さになるんかしらん。

近所のおじさん
近所のおじさん
そこへ、新しくやって来たおじいさんが口を挟む。

おじいさんの話

いやいや、今年が特別なのじゃない。ワシャな、40代の頃から今日まで30年来毎日書かさず日記をつけとる。気温も書いてあるから分かる。今年は特別に暑いなあ、去年はどんなだったかと思って去年のページを見ると、やっぱり同じような日があるもんだ。結局毎年同じなんだよ。
歳をとって来ると記憶力が衰えるからな。日記をつけとくとよい。何時に起きて何時に寝たとか、それから政治の事件なんかも忘れんように新聞記事を切り取って貼っておく。そうすると何年に何があったか分かる。それからな、血圧も毎日つけとる。

だんだんおじさんが増えてきて、僕なんかそっちのけで話に花が咲いてきた。

そろそろおしゃべりを切り上げて、本堂、大師堂と順番にお参りする。すると、ローソクが1本しか残っていないことに気づいた。次の円明寺でも2本必要なので1本足りない。ローソクや線香は、もちろんお寺でも買える。だが、それらは高級で高価なので、僕は予めダイエーで買った120本入り1箱298円のローソクを使っている。1箱全部持ってくると重いので、予定のお寺の数×2プラス予備で見積もった。今回は、結構、番外霊場に寄ったので予定以上に消費してしまったのだ。そこで1本だけここで購入しておくことにした。1本30円だった。

9時55分出発。

円明寺にて打ち止め

53番 円明寺
53番 円明寺
10時30分、今回の打ち止めとなる53番円明寺に到着した。次の54番延命寺までは34.5キロあるし、ここ53番のすぐ近くにはJR伊予和気駅があるので、区切り易い札所である。

境内に入ると、きのう石手寺で別れたゲンカクさんがベンチにかけてニコニコしている。車をおいてある三坂峠に戻るため、松山市駅行きの10時41分発のバスを待っているという。

ゲンカクさんが記念撮影をしようというので、ちょうど通りかかった年輩の女性の2人連れに二人のカメラを渡してシャッターを押してもらう。撮り終わると僕のカメラがウィーンと自動的に巻き戻しを始めた。ゲンカクさんとのこの記念写真が、きのうエー・ビー・シー・スーパーで買った24枚撮りの、ちょうど最後の1枚となったわけだ。

本堂で、さっき太山寺で買ったローソクを使い、大師堂では元から持ってきた(安物の方の)ローソクの最後の1本を使って、こちらもジャスト終了である。

お寺から500メートルほどのJR伊予和気駅に向かう。松山駅に向かう電車は11時25分発である。駅の待合室で、遍路装束を解き、俗人に戻った。

電車は10分ほどで松山駅に着く。空港行きのリムジンバス乗場に行ってみると、ちょうど11時40分発がでるところだった。だが、1時間に2本ぐらいの間隔で頻繁に出ているようだ。まず、JR松山駅前の公園で昼食をとることにした。朝食に引き続き、きのうのお接待のアンパン2個である。

おだやかな日差しの中で駅前公園のベンチに腰掛けていると、今ここにいる自分が不思議に感じられる。四国というのはこれまでの人生であまり縁がなかった。仕事で何回か高松に行ったことがあるぐらいだ。実を言うと、4つの県の相互の位置関係もあやふやだった。ところが、遍路を始めてから、徳島に3回、高知に4回、そして今回松山へと来ることになった。こういうふうな人生の広がりというのは、何か夢を見ているようでもある…。

さて、食事が終わったら水筒代わりに持ち歩いてきた500ccのペットボトルの水の残りを公園の木にやり、ボトルはゴミ箱へ。どんどん身軽になる。

12時15分発のリムジンに乗り、12時35分、松山空港着。

ようやく道後ビール

東雲 チェックインして荷物を預けてから、空港内のレストラン「東雲(しののめ)」にて一人で打ち上げをした。当地の名物じゃこ天をつまみにして、道後ビールで乾杯! これで第4回区切り打ちも無事終了である。

レストランの別のテーブルでは、背広姿のサラリーマンの3人連れが、深刻そうな会話をしながら、せわしなく食事中。また別のテーブルではかかってきた携帯電話に応答している人も。それらに比べて、こちらはTシャツ1枚でひげぼうぼう。昼間からビールだ。なんという贅沢だろうか。だが、これは束の間の非日常だ。明日からはまた「向こう側」に戻らねばならない。

髭面も 今日でお終い 区切り打ち

よし、もう1杯行こう! 次はあじ一夜乾しだ。昨夜の反動か、常にない散財である。ひとりジョッキを傾けながら、ほろ酔い加減で何をしていたのかと言えば、メモ帳を開いて、思い出すまま、遍路の記憶を書きなぐっていたのである。レストランで1時間ちかくを過ごし、もう思い出すことも尽きたような気がするが、でも、また思い出すことがあるのだ。遍路には思い出しきれないほどの思い出がつまっているのだ。こうして、遍路日記を書き上げた後でも、また隠れていた思い出が記憶の底から時折ポカーリと浮かび上がってくるものなのだ。

22,358歩、14.3キロ。

飛行機は14時20分発、ANA592。早割14で買っておいたものである。17時30分帰宅。

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