掬水へんろ館遍路日記第4期前日翌日談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第4期くしまひろし

第7日(5月5日) 民宿和佐路〜44番・46番〜51番〜道後ビジネスホテル(松山市道後湯之町)

峠御堂トンネル
峠御堂トンネル
一昨日買ったパンが、まだ1個残っているので簡単に腹ごしらえをして、5時25分出発。朝食は旅館でおにぎりにしてもらってある。

小雨交じりの県道12号をしばらく行って、峠御堂トンネルの手前から山道に入り峠を越える。ここは昔からのへんろ道らしく、苔むした古い遍路石や石仏がたくさんあった。

朝寝坊の太宝寺

44番 太宝寺
44番 太宝寺
6時20分、44番大宝寺到着。

ベンチに荷物をおき、手水で身を清める。同じころ、掛け軸とカメラを持った青年がやってきた。三脚を立ててお堂や境内を撮影している。このお寺には鐘が2つある。僕が鐘を「ゴーン」と打つと、もう一つの鐘を撮影中だったその青年がギョッとしたようにこちらを見た。一瞬、超常現象にでも出会ったと思ったのかもしれない。もっとも、人がいなくても鳴る鐘というのは実際にある。僕の家の近くにあるお寺の鐘は完全自動制御である。時間になると人がいないのにひとりでに鐘が鳴る。初めて見た人はビックリする。

階段を登ってまず本堂へ。本堂で読経中に雨が本降りになってきた。本堂のお参りを済ませたあと一旦ベンチにもどり、笠をかぶり荷物を手水所の屋根の下に置いて、大師堂にお参りする。ろうそく立てや線香立てを掃除中のおばちゃんが「この雨はじきに上がるじゃろ」と予言した。

お参りを終えて階段を下り手水所のところに行くと、置いたはずのザックが見当たらない。遍路の荷物を盗む輩もいるまいと見回すと、掃除のおじさんが動かしたらしい。手水鉢の水を全部掻きだして掃除しているので、水がかからないように脇にどけてくれたようだ。「これは山の水だからね、こうして一日一回掻い出してやらないと、泥が溜まってくるんだ」という。

納経開始の7時にはまだ間があるし、雨も小降りになってきたので、ベンチに掛けて、民宿和佐路で作ってもらったおにぎりの包みを開き、朝食にする。今回は、早朝に出発して少し歩いてから朝食というパターンが多く、大変具合がよろしい。一仕事を終えての朝食というのは何となく満足感がある。やはり「朝飯前」というのはいささかの労働をすべきなのだろう。

朝食を終えても、納経所の開く7時にはまだ15分ある。先程の掛け軸青年は、納経所の扉の前で、掛け軸を持って待っている。車で来たお遍路さんも、三々五々集まってきて、もしや時間より早く納経を始めてくれないかなという顔で、うろうろしている。これで団体さんでも来たら、折角早起きしたことが無駄になるので、僕も青年の後ろに並ぶことにした。

掛け軸青年の話

4月に車で43番まで回った。初日は17番まで一遍に回って、その後は1日10ヵ所ぐらいのペースで回った。今回はここが最初。
バスとかタクシーで回っている団体さんがいますよね。運転手が納経帳や掛け軸をたくさん持ってくるからその後になるとうんと待たされるので困る。「こちらは一人だから先にして」と頼んで先にしてもらったりするけど…。
商売でやっている人もいますよね。いつだったかはおばさん2人で納経帳を何十冊もかかえてやってきた。
折角早起きして来たんだから早くして欲しいね。こちらは次の寺にいかなきゃならないんだから。

そうこうしているうちについに7時になった。それでも納経所が開く気配がない。待っている他の人々も、
「掃除の人達はみんな早起きして働いてるのにお寺さんが一番遅い」
「何やってんだ」
「昔は六時からやってたもんだが…」
などと口々に不満を並べている。青年の次に並んでいる僕がインタホンのボタンを押してみる。「どなたですかぁ」と間の抜けた声。「納経お願いします」とキッパリ。「みんな待ってます」の一言は、何とかぐっと飲み込んだ。遍路は怒ってはいけない。遍路の心得である十善戒の一つに「不瞋恚(ふしんい)=怒らない」がある。「瞋恚」って何かって? そのような質問は受け付けません。

待つことしばし。やっと納経所の窓口が開かれたのは7時6分だった。怒らないと言いながら、細かく時間を覚えているところが…

納経の奥さんは、掛け軸青年の軸について「左右がずれてきてますね。上下のずれは簡単に直せるけど、左右のずれは上の方から直しておかないと直らないんですよ」といって一度ほどいて巻き直したりしている。僕は「寝坊だけど親切でいい人なんだ」と思ってのんびり順番を待っていたが、青年の方は「適当でいいですから」と言ってジリジリしている。

ようやく納経を終え、總門橋(そうもんばし)を渡って旧街道に出たところで、車の遍路が46番への道を尋ねている。道を掃除していたおじいさんが「浄瑠璃寺か、浄瑠璃寺は向こうだ」と教えている。ところが道を尋ねたおばさんは「え?浄瑠璃寺…46番はええと…」と戸惑っている。遍路をしてると、ともするとお寺の名前はどうでもよくなって、単に番号を追いかけるだけのスタンプラリーになってしまう。僕も同じだ。特にお寺が続いているところなど名前は覚えていなくて番号だけ印象に残る。他人も同じなんだと知って思わずほほえんでしまった。

しばらく行くと国道33号に合流。8時過ぎからまた雨が降りだした。太宝寺の掃除のおばさんの予言は残念ながらハズレかな。8時30分、国道沿いのレストパーク明神という休憩所にて小休止。この手前から一部国道からわかれた遍路みちがあるが、雨も降るし屋根のあるところで休憩したかったのでそのまま国道を来た。靴下を脱いでしばらく休憩するうちに小降りになった。

青年遍路僧

青年遍路僧
青年遍路僧
9時10分、向こうから僧形の若い遍路が歩いてきた。福島県のお寺から来た25歳の若いお坊さんだ。鉢を持っているので「托鉢をしながら歩いているのか」と尋ねると「いや形だけです」という。

若い遍路の話

弘法大師と同じ姿で歩いてみようと思った。野宿したり民宿に泊まったりしながら、逆回りで歩いている。遍路は初めてだが逆回りの方が修行になると思った。まず1番に行って、その後、88番から逆回りに歩いている。今日でちょうど20日目くらいだ。

旧久万街道
旧久万街道
9時30分、三坂峠で国道から分かれて、旧久万街道を下りる。ここまでは国道をゆるやかに上ってきたが、旧街道は急傾斜の山道を下る。この道は、明治25年に国道が開通するまでは、松山と高知を結ぶ重要な街道であったという。今はハイキングに最適な山道だ。だが、細い山道なのにタイヤの跡がある。バイクで駆け降りたりする輩がいるのか、岩が砕け路面が荒れていて痛々しい。

いったん集落に出て、また山道を行く。ちょうどみかんの花が咲き、嗅覚の鈍い僕でさえ、その香りに酔いそうだ。

堂守

10時51分、網掛石大師堂。側には真新しい平成遍路石が建っている。平成遍路石の建立というのは、1995年から始まった運動で、全国から浄財を募って花崗岩製の道標を年に10基ぐらいずつ建てているものだ。ここは番外霊場であるが、ちょうど道の側にあり、新築で明るい雰囲気が好もしく思えて、何となく立ち寄りたくなった。賽銭を上げて簡単に拝んで、お堂の前から立ち去ろうとすると、近くの民家から「ちょっと待って」といっておじさんが出てきた。

お堂のカギを開けて、中からタオルを出して来て僕に差し出す。「歩きの人にはタオルをお接待するように預かっている」という。
網掛石大師堂と橘さん
網掛石大師堂と橘さん

堂守の橘さんの話

この今年の4月に平成遍路石を建てた愛知県の方から、歩き遍路の人へのお接待としてタオルを預かっているんだ。気がついたら渡すようにしている。
このお堂は元々道の反対側にあったんだが、私がここの土地を買い集めて、自分で田んぼを埋めて造成して、新しく建て直したんだ。ウチは代々、ここの堂守だ。お大師様のためなら何でもしたい。こういう仕事に便利なように、私は仕事も土建関係を選んだくらいだ。
さっき逆回りの坊さんが行ったが出会ったかね? 逆回りだから道順が難しい。ここへは部落の者が案内して来たよ。
ここは歩きの人しか通らない場所だが、不思議なもので、仕事をしていて茶でも飲もうかとこちらに出てくると、お遍路さんが通る。今日はもうお宅を入れて7人目だ。大阪から来た夫婦の人もいたね。
大阪から来た夫婦というのは、僕が観自在寺で出会ったあの夫婦遍路かもしれない。ご主人が関西弁だった。今日はこの後、いくつもお寺が近接して続いている。もしかしたらまた会えるかもしれない。

浄瑠璃寺の薬酒
浄瑠璃寺の薬酒
46番近くになって、民家が立ち並ぶ中を行くので目印がなく、道順が不安になった。近くを行く人に尋ねると「浄瑠璃寺は長珍屋の前」と教えてくれたのでおかしくなった。「それは知ってるんですが…」。長珍屋は遍路の中では有名な宿だ。浄瑠璃寺のすぐ近くにある。だが、遍路はお寺を基準に考えるのに対し、地元では旅館の方が目印になっているというわけだ。

11時30分、46番浄瑠璃寺着。本堂でお参りすると、そばに「無病息災の薬酒」のお接待があった。一口ふくむと、うん、元気が出たような気がする。一週間ぶりの酒だ、酒だ!

浄瑠璃寺 遍路薬酒に 舌鳴らす

八坂食堂
八坂食堂
浄瑠璃寺からは15分ほどで、次の47番八坂寺に着く。近くの八坂食堂で昼食にした。ここでもソーメンの類にはありつけず、月見うどんを頼む。これは大変美味であった。店の人から「ずっと歩きですか。最近増えましたね」と言われた。本当に、目に見えて歩き遍路が増えているようだ。

ぎゃくへんろ道
ぎゃくへんろ道
住宅街の角に「ぎゃくへんろ道」という古い道標があった。逆回り用の道しるべは珍しい。道の方向を手の向きで示しているのは、当時の字の読めない大衆のことを考えてのことだろうが、「ぎゃく」というのが読めないと困るのではないだろうかなどと余計な心配をしてしまう。敷地の一角にわざわざ建て直したようだ。

13時30分、48番西林寺着。黒い作務衣に地下足袋姿のお坊さんがゆっくりと読経していた。13時45分発。大体、一つのお寺に15分ぐらいしか滞在していない。夏の遍路では30分ぐらいかかったが、今は季節的に休憩しなくても行けるからだろう。その分、一つ一つのお寺の印象が薄くなってしまう。だんだん遍路も僕にとってマンネリ化してきたということもあるのだろうか。

遍路ストーカー? 現わる

今回、フィルムは36枚撮りを5本持って来たが、もう5本目も残り少なくなってきた。明日までは持ちそうにない。通りがかりのエー・ビー・シーというスーパーで24枚撮りを1本買い足した。

14時30分、49番浄土寺着。いつもの通り納経を終えて、荷物を置いたベンチに戻って来ると、買物袋を下げたご婦人が待ち構えていた。「お勤めはお済みですか。これを御報謝させて下さい」と言ってアンパンが数個入った包みを差し出した。

買物おばさんの話

私もついこの間徳島でお遍路してきたところ。1番から11番まで歩いた。初めは歩くなんて考えもしないで、バスとか電車に乗って移動する積もりだった。ところが、最初に泊まった宿で一緒になった女性が歩いて回るというので、一緒についていくうちに、結局11番まで歩くことになった。そう言えばその人も横浜から来たと言っていた。
途中でおじいちゃんも一緒になった。この人は何回も回っている人で、途中の道順とか目印を細かにメモしている。雨だというのにあの人たちは11番から焼山寺への山道を歩いていった。
私はとうてい付いていけないのでそこで分かれた。続きを歩いてみたいと思うけれど、足を傷めたりしたら家族に迷惑がかかると思うとね。
エー・ビー・シーで買物してらしたでしょ。御報謝させてもらおうと思って付いてきたの。

49番浄土寺
49番浄土寺
恐るべし。僕は、尾行(!)されていたのだ。ちっとも気がつかなかった。そしてまた、わざわざ、お寺まで付いてきて、お参りや納経が済むまで待ってくれて、それからお接待して下さるという気遣いに脱帽してしまった。

でも、僕は明日で打ち止めだし、アンパンをこんなに食べきれないなあ。

15時20分、50番繁多寺着。真新しい山門があり、「ゴミを捨てないで下さい」とか「貼り紙をしないで下さい」とか注意書きの目立つお寺である。納経は「老僧」という感じのカンロクのある坊さんがやってくれたので満足。

大きなザックに銀マットの目立つ野宿風の遍路がやって来たので、アンパンを半分受け取ってもらうことにする。いくつか前のお寺から見かけていたこの人は、石川県で不動産業を営んでいるゲンカクさんで、歩きに適した道だけ歩くことにしているという。

ゲンカクさんの話

今回は、八坂峠に車を止めてあり、そこから歩いて来た。長い国道の部分などは車で移動する。今週一杯歩く予定だが、明日友人に会う約束がある。今晩は道後に泊まり、明日53番まで打ったら、車を置いた所まで一旦バスで戻る。

このように歩きと乗物を併用している遍路は少なくない。でも、乗物がバスや電車でなく、車だと、車を置いたところまで戻らなくてはならないので大変そうだ。不要な荷物などを保管する基地としては便利だけれど。

適当な宿がなければ野宿も辞さないということで銀マットを持参しているのだろう。

16時30分、きょうの最終地点、51番石手寺に到着。

道後温泉の近くであり、山門から屋台が並んで観光客で賑わっている。境内は広くいくつもお堂がある。本堂を済ませたあと、大師堂の場所は、納経所で尋ねてやっと分かったぐらいだ。

西林寺で見かけた黒い作務衣の僧が、朗々と読経している。やはり「本職」の人は声の質からして我々とは違う。また単に読経するだけでなく、印を組んでなんだか分からないことを唱えている。尋ねてみると護身のお呪いだという。

黒作務衣の僧の話

実は近くのお寺の者だ。車で回っている。歩いても車でも御利益は同じだ。今晩の宿は? カプセルホテルが安くて便利だからお勧め。
私らは納札は使う分だけ持ってきて全部納めていく。こうして頂いたお札は玄関にかざっておく。魔除けになる。
この服は作務衣でいわば作業着だから輪袈裟は着けない。そういえば、あなたの輪袈裟は、それは反対向きですね。縫目が下に来るようにかけないと。塗りの杖をお持ちなのでどこかの先達さんかと思っていました。

杖の色のせいで、前のお寺でも僕を意識していたらしい。こちらが素人と分かって杖のことやら色々と講義をしてくれた。

道後温泉の悩ましい夜

ゲンカクさんは、作務衣のお坊さんと一緒に車でカプセルホテルに向かった。僕は、「予約してあるから」とカプセルホテルの誘いをお断りし、「歩きにこだわっているから」と車のお接待もお断りして、2人と別れ、17時30分ごろ道後ビジネスホテルに到着。

ホテルのフロントの青年の話

道後温泉本館も近いけど、このホテルにも2階に岩風呂があって温泉に入れます。元湯からお湯を引いてます。
食事は、道後温泉本館の前にある「おいでん家(か)」がいいです。魚屋が経営していて安くてうまい。ここ道後の他の店は高いばかりで正直言って私はお勧めできません。出張なんかでよく来る人はローソンで何か買いこんで来ます。
洗濯機やコインランドリはおいてません。道後にはそういうホテルや旅館はないでしょう。コインランドリはちょっと歩けばあることはあります。

実を言うと、このホテルの中に温泉があることは調査済である。雲さんのおへんろ日記で、「大きな温泉旅館はやっぱり諦めて、近くのビジネスホテルにした。しかしこれが当たり!」とあり、温泉のことが書いてあった。ホテルの名前は書いてなかったが。僕はこのホテルだと推定していたのだ。推定は正しかった。

道後温泉本館
道後温泉本館
ホテルの岩風呂で汗を流したあと、街に出た。道後温泉本館に行き、『神の湯2階席』というチケットを買う。宿の浴衣や丹前のままで来ている客も多い。入浴だけだと320円で一般の銭湯と同じく風呂に入るだけである。2階席というのは、入浴前後に、大広間で休憩でき、620円である。このほか上等な浴室に入れる霊の湯というのもある。

2階に上がると、浴衣を貸してくれて貴重品入れの箱を渡される。タオルを借りるには別に50円払う。浴室は1階である。花崗岩でできていて、特に古びた感じではない。浴槽につかっている人より回りで体を洗っている人の方が多かったが、僕は一度入浴済なので、かたちばかり洗ってすぐ浴槽につかった。

2階席に戻ると、係のおばさんがお茶と煎餅を持ってきてくれる。お茶がぬるかったのが残念だ。何となく物足りないので、売店でビン入りのコーヒー牛乳を買って一気飲みした。

おいでん家
おいでん家
汗が引くのを待って本館を後にし、すぐ前にある『おいでん家』で夕食にする。税別1000円の海鮮丼を頼む。丼飯の上に鮪と鮭がのっていて、その他に、とろろ、しょうゆ、生卵、薬味がついている。生卵はどう使うのだろうかとオニイサンに聞いてみると、「どう食べるかはお客さんの自由だけど、ジブンは全部まぜて食べるのが一番おいしいと思います」というので、その通りにしてみた。

風呂あがりでうまい魚があるのに、ビールを飲めないのが悩ましい。1回目の区切り打ちのときから、遍路中は酒を飲まないことにしている。今晩は最後の夜だが、まだ明日、札所が二つ残っている。うーん。『道後ビール−湯上がりビール冷えてます』という壁の宣伝文句が恨めしい。回りの客はみんな刺し身に舌鼓をうち、ジョッキや冷酒のグラスを傾けている。今回の遍路では、この食事が最大の修行であったかもしれない。

49,817歩、33.6キロ。

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