掬水へんろ館遍路日記第4期前日翌日談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第4期くしまひろし

第6日(5月4日) ふじや旅館〜45番〜民宿和佐路(久万町下畑野川)

新聞お接待

大平川に沿って
大平川に沿って
5時、ふじや旅館を出発。早朝や曇りのときなど、日光も雨もないときは、菅笠はかぶらないでザックにくくりつけておく。頭を風にさらして歩くとやはり気持ちがよい。

今日は標高750メートルの山越えをして、難所と言われる45番岩屋寺に参り、さらに44番近くの民宿まで行かねばならない。今回の遍路の中では、一番時間の見積もりの不安な日である。明るくなるのと同時に出発し、ゆるやかに大平川に沿って国道380号を登っていく。

早朝には車の往来もほとんどない。6時ごろ、1台のワゴン車が追い抜いて行った。しばらくするとそれが戻ってきて近くに止まった。窓から顔を出したおじさんが「歩いて回っとんの。偉いな」といって今日の朝刊をお接待してくれた。新聞配達の人だったんだ。

真弓トンネル
真弓トンネル
6時50分、全長713メートルの真弓トンネルを通過。久万(くま)町に入り、ここから先はゆるやかな下りに転ずる。

だんだん道路沿いにも人影が見えはじめる。田園地帯に点在する農家の庭先では、おばさんが野菜を洗ったりしている。農村地帯を歩いていていつも感じるのは、早朝から動き回って家事をしたり、畑で作業をしているのは女性ばかりだということだ。「おはようございます」と挨拶すると丁寧に返してくる。たまに見かける男性は、ステテコ姿で庭でぼうっとしているばかり。昼間の仕事がきついのだろうけど。

地蔵堂の吸殻

地蔵堂
地蔵堂
7時30分、地蔵堂に到着。ふじや旅館からちょうど10キロほどのところである。5時に宿を出てから2時間半を休憩なしで歩き続けた。ここで朝食をとることにした。前夜作ってもらったお握りの包みを開く。

地蔵堂の中には畳が何枚か立てかけてあり、野宿するにも適しているようだ。僕のような遍路にとっては、こうした小さなお堂は、信仰の対象としてではなく、休憩や野宿の場所に見える。

ふと地面を見ると、地蔵堂の縁側の直下に煙草の吸殻が落ちていた。しかももみ消した様子がなく、灰が2cmぐらいそのままの形で長く残っている。ぞっとする光景だ。誰かが吸殻を消さずに捨てて行ったのだ。一つ間違えばこのお堂は焼失してしまっていたかもしれない。

食事をし、休憩している間に日が照りはじめたので、笠をつける。1時間で国道33号に出る。伊予落合という地点だ。

ここから、左へ行けば44番太宝寺だが、僕は右折して45番岩屋寺を目指す。順番通り、44番を先に打つと、45番との間を往復することになる。同じところを2度歩くのはつまらないので、いわば裏から45番に入って、その後で44番に回るのだ。歩き遍路ではこのコースを取る人も多い。ただ、この45番に直行する山道は、夏場はマムシの危険があるそうだ。

県道209号
県道209号
国道は美川村に入り、30分ほどで梨の木バス停に到着。気温も上がってきて、体が休息を求めている。自動販売機で飲物を買って、バス停の小屋にへたり込む。

9時45分、ようやく上り口である河口に着いた。もう今日は5時間ちかく活動しているが、ここからが今日の山場である。交通量の多い国道から静かな川沿いの県道209号に入ってゆるやかに上っていく。10時20分、道は再び久万町に入る。

イキツモドリツ

イキツモドリツ
イキツモドリツ
道路脇の茂みに小型トラックが2台、打ち捨てられていた。ナンバープレートが剥がされており、背中をきっちり合わせて放置してあることからも、故意に廃棄したことが分かる。

別段、通行の邪魔になっているわけでもないこうした廃棄物は、結局どうなるのだろう。何年か後に僕がまたここを通るときにも、まだこのイキツモドリツはここにいるような気がした。江戸時代から残るへんろ道しるべのように。(イキツモドリツが何のことか分からない方は「ドリトル先生」をお読み下さい。)

田植え
田植え
道路はだんだん傾斜が急になり、道幅も車1台がギリギリ通れるくらいの幅にせばまり、農家と畑や水田の中を縫うように山地に入っていく。段々になった水田では、一族総出といった感じで田植えの最中である。田植えは機械でやっているところが多いが、こんなせまい水田では、機械でというわけにも行かないのだろう。

吠える犬(約10秒)
RealAudio
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ある農家の前の道の両側には3頭の犬が繋がれていて、そこを通るときには、両側から3頭の犬が同時に僕に向かって吠えかかった。たとえ繋がれている犬でも、両側から激しく吠えられると、生きた心地がしない。そのへんにいたおじさんが叱りつけたので犬はようやく黙ったが、それでも「コイツ、アヤシイヤツナノニ…」という風なそぶりで不満そうに鼻をならしていた。

南斜面を登る道は、日光を遮るものもなく、暑さに喘ぐ。11時過ぎ、槙谷という地点に到着。車道はここまでで、さらに細いへんろ道が山林に入っていく。ここに来てようやく木陰にありついて、一息ついた。20分ほども休憩して、再び歩きはじめる。

杉木立を行く
杉木立を行く
道は、ところどころ急な登りを交えつつ高度を上げていく。杉木立の中の道がゆるやかになって、やがて視界が開けると「八丁坂の茶店跡」という立て札のある峠に到着した。近くに「遍照金剛」と彫った大きな石碑が建っている。歩き遍路がどんどん通っていた時代には、みんなここの茶店で一息ついたのだろう。ここから後は、枯葉の厚く積もった歩きやすい道が続く。結局、激しい登りは30分ぐらいだった。

12時15分、「岩屋寺まで1.6キロ」という道標のそばで、山道に座り込んで休憩、昼食にした。最初の頃は、レジャーシートを持参していたが、あまり使うこともないので、今回は何も敷物を持っていない。だが、今朝お接待でもらった新聞紙がある。遍路中は新聞を読む気にもならないので、お接待されたときは「荷物だなあ」というのが正直な気持ちだった。だが、こうして都合よく使い道が出てくる。ろくに読んでないので申し訳ないと思いつつ、広げて尻の下に敷いた。メニューは、朝食の弁当の残りのお握りと、きのう途中の店で買っておいたカレーパンである。

岩屋寺まではもう一息である。馬酔木が繁った尾根から、道はやがて杉の巨木の間を急角度で降りていく。逼割禅定(せりわりぜんじょう)という行場があった。大きな岩が二つに割れて出来た細い隙間をよじ登るという修行をするところだ。表から岩屋寺にお参りにきた観光客がこのへんまで見物に来ている。足場が悪いので歩きにくそうだ。

万国旗たなびく岩屋寺

45番岩屋寺
45番岩屋寺
無数の地蔵
無数の地蔵
13時5分、45番岩屋寺到着。

そそり立つ岩壁の裾にめり込むように小さな本堂が建っている。境内には何故か万国旗が飾られており、カメラやビデオを持った観光客で賑わっている。本堂の屋根より少し高いところで岩壁が段になっていて、そこまではしごで登れるようになっている。おじちゃんたちがワイワイ言いながら登り、おばちゃんがそれを写真に撮っていた。

納経所は2人で受け付けていたが長蛇の列である。納経帳を何冊もかかえた人もいる。

ベンチで缶ジュースを飲みながらしばらく休憩した。ほとんどの参拝客は車で来て、階段を20分ぐらいかけて登って来る。息を切らして、この岩壁を背負った異様なたたずまいのお寺に到達すると、やはり強い感銘を受けるのではないかと思う。一方、僕のように裏山から下りて来て、逼割禅定などの巨岩を目にしてから境内に入ると、このお寺の印象はどうも弱い。

13時55分、出発。次々と階段を登って来る人々とすれ違う。参道の脇には無数の地蔵が並んでいる。階段が終わると、山門があって、ここまでく登ってきた人々が、延々と続く階段を見上げて恐れをなしている。

直瀬川
直瀬川
直瀬川沿いの県道を44番太宝寺の方に向かう。今日の宿は太宝寺の3キロほど手前の民宿である。本当は岩屋寺近くの国民宿舎古岩屋荘に泊まりたかった。温泉があり、岩屋寺から近く便利なところだ。ふじや旅館に電話して相談したときも、歩き客が次に泊まるところは古岩屋荘が多いと言っていた。だが残念ながら、連休真っ最中なので、僕が電話したときは既に満室だったのだ。その前を素通りして、県道やハイキングコースのような道を出たり入ったりしながら今日の宿である民宿和佐路を目指す。

孝行遍路

民宿和佐路
民宿和佐路
16時10分、民宿和佐路に到着。ところが、看板はあるが、その敷地内にいくつも家があって、どれが民宿か分からない。あちこちにおばちゃんや、若い人達がたむろしたりしている。とりあえず車を洗っていたおねえさんをみつけて尋ねると、「民宿はあっちの家だけど今主人が出掛けている。予約している人だったら、多分この部屋だと思う」と案内してくれた。

やっと宿に着いたのに、お茶も飲めないので、庭に出てさっきのおねえさんに自動販売機はないかと尋ねると、「向こうにあります」という。でも県道がはるか向こうでカーブしていて、かなり遠そうだ。「自転車で行ったら?」というのでお言葉に甘えて借りた自転車で買い出しに出掛けた。…えっと、これは宿に入ってからだから、歩きの原則には反してないと思う。

しばらくして、宿の奥さんが帰宅。さっきのおねえさんとそっくりな顔つきだ。一目で親子と分かる。部屋にはエアコンはなく、まだコタツが置いてある。ここは久万高原、標高600メートル近い。夜はまだまだ涼しいのだろう。入浴を済ませて、部屋でドアを開け放してくつろいでいると、他のお客さんが到着。遍路姿のおばあちゃんとおばちゃんが僕を見て「こんばんわ、いや、まだこんにちはやな」と言いながら廊下を通っていった。

夕食は、その2人と一緒だった。2人は親子で、おばあちゃんだけが白衣だ。遍路に行くおばあちゃんをおばちゃんが車に乗せて休みのたびに少しずつ回っているとのことだ。

孝行遍路の話

このおばあちゃんは、昔は歩いて回ったこともあるんですよ。一人でもお遍路するというが、まさかこの年寄りを一人で遍路に出すわけにはいかないでしょ。だから結局、私が仕事の休みのたびに連れて回っている。
今回は私が直前まで休みの日程が決まらなかったので、行き当たりばったりで宿も予約してない。足摺岬ではどこも満員だと断られた。金剛福寺にも行って頼んでみたけど「連休なんだから予約して来ないとムリ」と断られた。ところが、白衣の母がもう一度頼んだら泊まれることになったので助かった。ここ(和佐路)もきょう直前に電話して来たところ。
何度も回っているが私は方向音痴。いつも同じところで迷ったりする。車で回っていても、休みの度に回っているとずっと以前に他のお寺で会った人に出会ったりとか、思わぬ再会もある。
私も歩いて遍路してみたいと思うが連れがいない。一人では怖いし…。

区切り打ちなのに再会する人があるというのは、昨日自転車遍路に再会したばかりの僕にとっても実感である。「どこから?」と尋ねるので「横浜から」と答えたら、

「わあ、歩いている人は皆遠くから来ているんですね。今まで出会った人も、東京とか九州とか。きょう岩屋寺で出会った歩きの夫婦も東京の人でした。夏はマムシが怖いから順番を飛ばして岩屋寺に来たと言ってました」
という。それはきっとアツウラさん夫妻に違いないと思った。年末年始に歩いたとき足摺岬で出会った夫婦遍路だ。元日に安宿旅館で一緒に泊まったときからマムシのことを心配していて、5月に岩屋寺に参ると言っていた。きょうは古岩屋荘を予約しているはずだ。こうした消息に触れるというのもまた、間接的ながら区切り打ちの再会と言えるだろう。

遍路宿 儚い縁を 紡ぎ行く

48,383歩、31.5キロ。

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