掬水へんろ館遍路日記第4期前日翌日談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第4期くしまひろし

第2日(4月30日) 岡本旅館〜40番〜三好旅館(津島町岩松)

観自在寺

40番 観自在寺
40番 観自在寺
5時20分に起床。昨晩、宿の近くの店で買っておいたパンを食べて朝食にした。5時50分出発。

6時過ぎ、城辺町の付近に五叉路があり、どちらに行くべきか迷う。何の標識もない。うろうろしているとやっと犬を散歩させている人が遠くに見えたので、大声で尋ねた。しばらく行くと今度はT字路だ。この近くには早朝から店の開いている豆腐屋があったので道を尋ねることができた。

6時半、城辺橋を渡り、やがて観自在寺のある御荘(みしょう)町に入る。商店街をしばらく歩いていくと、右側に観自在寺の駐車場への入口の標識があった。ここを折れて入ると正面は平城小学校だった。早朝にもかかわらず体育館から剣道の掛け声が聞こえている。標識に従って進行していくと、6時45分、40番観自在寺の裏口に着いた。なぜか、正面の山門への入口を見逃してしまったのだ。

境内に入ると、きのう高知からのあしずり1号で同じ車両に乗っていた夫婦遍路に出会った。

夫婦遍路の話

前回、宿毛まで歩いたので、昨日は宿毛からです。ゆうべは着くのが遅くなって納経に間に合わなかったので、今朝一番に来ました。お宅は39番からですか。速いですね。
今日は大畑旅館に泊まります。ご縁がありましたら、またお会いしましょう。

お参りを済ませたが、まだ7時前なので納経所の前でうろうろしていると、本堂の前を掃除していた奥さんが「納経ですか」といって中に案内してくれた。

お寺の若奥さん(?)話

ずっと歩きですか? 最近歩きのお遍路さんが多くなりましたね。昔は停年後にという方が多かったけど、最近は比較的若い方も歩いています。リストラで失業したのを契機に、次の仕事を見つける前に遍路をしているという人もいました。

ベンチで納経帳をザックに仕舞って身繕いをしていると、ちょうど通りがかった住職が「どこから?」と声をかけてきた。「ほう、横浜か。ワシも保土ヶ谷には定期的に行くんだよ。○○という大きな寺がある」という。サラリーマンが関連会社にときどき出張するようなもんだろうか。

7時8分、出発。どこで入口を見過ごしたのか確認しておこう思って、山門の正面から出てみた。すると、さきほどの商店街の通りに出た。そこには「海中公園10km」と「宇和島42km」という標識があるばかり、結局歩きの人への案内は何もなかった。19番立江寺と同じで、車で来る人への心遣いしかないのだ。

完全武装の自転車通学
完全武装の自転車通学
国道56号を宇和島方向に北上する。海に近く観光スポットになっているようで、ホテル、レストランが多い。物々しい服装の小柄な人が次々に自転車で過ぎるので、このへんの作業員はみんな小柄だなあと思ってよく見ると、登校中の中学生だった。男も女も、ヘルメットといい、遠くから分かる鮮やかなユニフォームといい、交通量の多い国道を自転車通学するのに適合した服装をしている。

夫婦遍路
夫婦遍路
8時、国道脇の資材置場に転がっていたU字溝用のコンクリートを腰掛け代わりにして休憩。夫婦遍路が会釈しながら、チリンチリンという鈴の音高らかに、足取り軽く過ぎていく。

しばらく、だらだらとした登りが続き、八百坂休憩所から下りに入る。比較的涼しくて、歩きやすい。今度は、道路脇で休憩している夫婦遍路を追い越す。

もろで海岸を左に見ながら、内海町に入る。

柏坂越え

9時35分、国道から分岐して柏坂の登り口に到着。

約1時間、急な山道を登り続けると、「柳水」という表示のある水場に到着した。「四国のみち」の立派な休憩所がある。立て札によれば「その昔、弘法大師が柳の杖をつき立てたところ甘露の水がわき出た」というところである。同様の伝説のある霊場は、あちこちにあるようだ。

柳水
柳水
ここが柳水大師だとすると、標高450メートルであり、ほとんど登りは終わったことになる。どうも早すぎるような気がする。疑念がわく。ここは「柳水」とは書いてあるが「柳水大師」とは書いてない。地図には、もっと手前にもう一つ水場が記してある。今いるのが手前の水場だとすると、まだ3分の1しか登っていないことになる。自分が今いる地点がどこなのか確信が持てない。

まだ10時半だが、早い昼食にして荷物を軽くすることにする。残りのパンを食べる。食べながら考えた。ザックの中の食料を食べるとザックは軽くなるが、体重がその分増えるのではないだろうか。質量保存の法則だ。そうだとすると、食べて荷物を軽くするというのは意味のない考えだった。いやいや、そうでもないぞ。特殊相対性理論によれば質量とエネルギーは等価なのだ。EイコールMCの2乗だ。歩くとエネルギーを消費する。質量がエネルギーに転化するから確かに質量が減るのかな。いやいや、それはただの化学反応だからMC2乗は関係ないか。う〜ん。

たっぷり休憩をとって、出発準備をしていると、夫婦遍路が「早いですねえ」と言いながら汗を拭き拭き登ってきた。入れ代わるようにして11時20分出発。

数十メートルも行かないうちに、向こうからおぱちゃん二人が杖をじゃらじゃら言わせながら駆け降りて来た。上半身白衣、下は青いジャージのズボンだ。荷物は何も持っていない。不思議に思って尋ねると「荷物はホテルにおいて逆回りしている」とのこと。「もう半分来ましたよ〜。頑張って下さい」という。ということは? やっぱり峠はまだ先なのか?

馬の背
馬の背
30分で、大師の水という場所に着き、その後はなだらかな下りが続く。やはり、最初の考えてで良かったのだ。 「牛の背」「思案坂」「狸の尾曲り」「馬の背」などと、想像力を刺激する地名を示す標識が次々に現れる。その名の通り馬の背というところは本当にせまい尾根だ。この道は「柏を育てる会」という団体が手入れをしたり標識を整備したりしているらしい。また野口雨情ゆかりの地であるらしく、「松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら」などの詩句の柱があちらこちらに立っている。

12時30分、「四国のみち」の茶屋休憩所に到着。空は晴れ、気温も上がってきたので、屋根のある休憩所はたいへんありがたい。徳島を歩いているときは、「四国のみち」の標識のいい加減さに煩わされたものだが、この付近はへんろ道の要所要所に立派な休憩所が作られており、助かる。「四国のみち」も捨てたものでもない。

13時10分、山道から農道に出た。野良着姿のおばちゃんが、尋ねもしないうちから道を教えてくれて、何やら話しかけてくる。

おばちゃんの話

今日はお遍路さんがもう3人通ったよ。Gパンの人もいた。ずっと歩くのかい。少しでもバスに乗ったら楽なのに。
今、竹を切ろうとしていたところなんだ。中島さんがお墓の為に切った竹の残りをもらうんだ。薪にするから。

残念ながら中島さんという方は存じあげないが、このへんでは有名なお宅なんだろうか。

おばちゃんと別れて少し行ったところの農家に犬がいた。激しく吠える。放し飼いだ。怖い。まっすぐ前を見て歩く。吠え声からするとついてはこないようだ。でも、怖い。再び山道に入ったり農道に出たりして、道は一度国道56号を横切ったあと、それとほぼ並行する旧道を行く。また犬に激しく吠えられる。これも放し飼いで、今度は追いかけながら吠えている。走って逃げるわけにはいかないので、とにかく緊張して歩く。

15時過ぎ、津島大橋を渡ってしばらく行くと岩松の集落が見えて来た。

三好旅館

三好旅館
三好旅館
集落のあたりで再び橋を渡り、右に折れて少し行くと、予約した三好旅館に着いた。15時30分。歩き遍路は、日の出とともに行動を開始し、3時ごろには宿に入るのが良いとされている。今朝は、出発が6時近くで、もうすっかり明るくなっていたが、到着の方はまあまあ理想的である。

ここ岩松商店街には旅館が何軒もある。「40番観自在寺の住職が三好旅館を勧めてくれた」という話を、第2期区切り打ちで出会ったカタネさんからの手紙で知ったので、ここに決めたのである。三好旅館はたいへん古い建物である。よく見ると玄関に、「御用の方は別館にお回り下さい」とある。別館に行ってみるとこちらはタイル張りで新しい建物である。案内を乞うと「今日は別館は宴会があるので、旧館にお泊まり頂きます」という。何だか行ったり来たりしたが、由緒ある建物に泊まれることが分かってうれしい。

入浴後、普通の服に着替えて、アセモの薬を買いに出た。去年の夏と同じように体のあちこちがかゆくて仕方がないのだ。先程渡った橋の近くまで来ると、チリンチリンと鈴の音。もしやと思って通りを覗くと、あの夫婦遍路がやってきた。「早いですね。散歩ですか」と驚いている。何だか今朝から会うたびに「早いですね」と言われている。今日は僕よりずいぶんゆったりペースだったが、明日は43番の近くまで行くという。僕は42番近くの民宿に泊まる予定なので10キロぐらい近い。

鈴の音に 抜きつ抜かれつ 日は暮れる

三好旅館の夕食
三好旅館の夕食
夕食は、別館の一室で頂いた。伊勢海老まで付いた豪華な宴会料理だ。ただ、昨夜に続いて今晩も一人で食べる。しかも、遍路中は禁酒している。料理が良ければ良いほど、これは侘しいものだ。まあ、遍路は修行なのだからぜいたくは言うまい。

44,514歩、28.1キロ。

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