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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2004年春

霊験

    ふたたび行者野橋を渡り「公園事務所」への道をゆるやかに登っていく。途中で、南馬喰草からの遍路道に合流し、16:00に建治寺(こんじじ)に到着。

    お参りを済ませて納経所に行く。男性の寺務員から「お不動さんですか、奥の院ですか」と尋ねられたが、答えられない。不動霊場巡りや奥の院巡りをしているわけでなく、スタンプラリーの別格納経帳の末尾の空白ページに、参拝記念として納経してもらうぐらいの意識しかないからだ。「えーと」と考えて、ここに電話すると「13番奥の院・建治寺です」と出るのを思い出し「じゃあ、奥の院のほうで」とお願いした。ところが、彼は奥の院の納経を受け付ける資格はないらしい。別の仕事をしていた作務衣の女性が呼ばれてきて、「金剛蔵王大権現」と記してくれた。僕は本当はどっちでも良かったので、彼女の仕事を中断させたことに対してちょっと申し訳なく思った。

    部屋へはこの女性が案内してくれたが、その後姿を見ることはなく、「お風呂の準備ができました」と膝をついて伝えに来たのは品の良い中年のご婦人、洗濯機の前ではご住職と鉢合わせし、「お食事をどうぞ」と呼びに来たのはポニーテールのお嬢さんだった。この山上のお寺には一体何人の人が働いているのだろう。寺務所の予定表を見ると、今日の宿坊客は僕一人らしい。僕のためだけにこんなに大勢が仕事をしているのだろうか。

    夕食時は、先ほどのご婦人と、もう一人足を痛めていて座卓の前に椅子をおいて座っているご婦人、そしてポニーテールさんと一緒だった。3人でなんだか個人的な話をしている。「皆さん、お寺の方なんですか」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。「お寺の人はもうみんな山を下りた。ここにおるのは私たちだけ」。何とも謎である。

    食事は完全な精進料理。この山で取れたばかりという竹の子のてんぷらやおひたしは絶品だ。卵も禁止、なぜかたまねぎも使えないという。牛乳はOKなので、かろうじてカルシウムの補給ができるとのこと。ご婦人の一人はもう何十日もここにいるが、近く山を下りる予定なので、魚を食べるのが楽しみだそうだ。山に篭って修行をしているということなのだろうか。

    食後、椅子のご婦人に本堂への入り方を教えていただき、一人でゆっくりと、納得いくまでお勤めをした。とはいっても、正式の方法は分からないので我流だ。「納得いくまで」というのは、つまり正座した足のしびれを我慢できなくなるまでという意味である。

    翌朝、お篭りのご婦人二人と一緒に、本堂と大師堂でそれぞれ、お勤めをさせていただく。僕が遍路中に読むお経は般若心経だけだが、生まれて初めて長いお経を読んだ。経本を見ながら、お二人についていくのがやっとだった。

    建治寺から山を下りて大日寺に向かう。昨日行者野橋から登った道でなく、こちらが本来の遍路道のようだ。梯子や鎖をつたいながら、建治の滝という行場を通って山を下りる。僕は間抜けなことに、滝の近くで道を間違え、山中の同じところを2周してしまった。狐か狸に馬鹿されてこのまま山を出られないのではないかと思った。

    ところで、僕の方向音痴はさておき、建治寺には不思議なことが三つあった。

    一つは、蚊取り線香を炊いているわけではないのに、蚊や羽虫が部屋の中で落ちて死ぬ。このお寺のお灸治療は良く効くと評判らしいが、その煙が建物に染み付いた効果なのであろうか。

    二つに朝のお勤めをした大師堂の不思議である。これは書くのも怖いからやめておく。

    三つに、建治寺に泊まった翌朝から僕は痒くないということである。僕はアレルギー体質で、遍路で汗をかくと必ず皮膚が痒くなる。日常生活では何もないのに、遍路中は塗り薬がかかせない。3年前の夏遍路で宇和島の美人薬剤師さんに勧められた液体ムヒを愛用しているが、それを使っても、眠りに入るまで痒みに耐える毎日なのだ。ところが、建治寺に泊まった翌日から、痒みがすっきり消えた。まったく薬を使わないのに毎日何ともない。その後天候も回復して晴天続きとなり、汗もかいたのにまったく快調だった。精進料理のせいなのか。でもその後の日々は、肉や魚も食べている。評判のお灸の治療を受けたわけでもない。一晩泊まっただけでこんなご利益を頂くとは首をかしげるばかりなのである。

    近くには大日寺の宿坊もあり民宿もあるのに、別格20霊場には入っていないこの番外霊場に泊まろうという気持ちになったのは、僕にとってその必然性があったからなのだろうか。

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