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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2004年春

納経

    潜水橋(沈下橋)の川島橋を渡り、堤防の上の休憩所で一休みした。ここから11番藤井寺へ道しるべに従って歩くのが近道なのだが、それとは別の旧遍路道を歩いてみるよう勧められていた。勧めてくれたのは、鴨島町で遍路道の整備に尽力されている「しんさん」である。鴨島町特製の地図を見ながら、しばらく堤防を川下に進んで住宅地に入った。古い道標が次々にあらわれ、また地元の方が丹精された庭、そして空き地の花々が美しい。菜の花や桜を満喫できる「花へんろ」のシーズンからは外れているが、春から夏への予感を感じさせる花風景だった。

    192号に出る直前に中務茂兵衛の立てた道標があり休憩所が設置されている。ここで一休みし、「さて…」と、立ち上がって道路を渡るため車の切れ目を待っているときのことだった。ふと、杖を持っていない(!)ということに気がついた。「おっと、いけない」と休憩所を振り向いたが、そこにも杖はない。どこに置いてきたか? 川島橋を渡ったときには確かに杖を持っていた記憶がある。花の写真を撮るときに、どこかに置き去りにしたのであろうか。それとも、堤防の上の休憩所であろうか。

    旧遍路道を逆に歩くのは自信がなかったので、まず近道を通って堤防まで戻ることにした。堤防の休憩所になければ、先ほどと同じ道を歩いて探してみよう。しばしの逆打ちのあいだ、次々に歩き遍路とすれ違う。今朝から何となく顔なじみになった人は、けげんそうな顔つきだ。気恥ずかしいが「こんにちは」と挨拶をして歩く。

    堤防に着くと、休憩所の窓ごしに、立てかけた僕の杖が見えた。ほっと安堵の息をもらしつつ、「藤井寺まで行ってから気がついたのだったら、もう取りには戻らなかったかも知れない…」と自分の心の厚さ・薄さを覗き込んでみる。15分ぐらいで戻れる地点で気がついたのはラッキーだった。再び近道を引き返す。「置き去りにされて寂しかったことだろう。じっと主を待っていた杖の写真を撮ってやればよかったな…」としょうもないことをくよくよ思いながら歩いた。

    15時過ぎに着いた藤井寺の境内は大賑わいである。納経所にも10人以上の行列ができている。でも、僕は納経はしないから、混雑は関係ない。

    八十八ヶ所はこれまでに2巡して、それぞれ納経してもらった。1巡目は深く考えることもなく記念として書いてもらった。「スタンプラリーと変わりない」と揶揄されれば、その通りかも知れない。だが、札所にたどり着いた自分のために、生身の人間が目の前で筆を運んで書いてくれる納経帳の1ページには、かけがえのない価値があるような気がした。

    2巡目は「納経することだけが、お寺の人間とのかすかな接点だ」と考えた。その接点の時間を引き延ばすために、重ね印を避けて、新しい納経帳を持って回った。もしや交わされるかも知れない真実の交わりを求めて、わずか数十秒の時間を300円で買ったのだと言えなくもない。「スナックのおねえちゃんとたわいない会話をするために数千円を費やすのと変わらない」と揶揄されれは、その通りかも知れない。結果としては、空しさが残ることのほうが多かった。

    僕には、納経帳によって巡拝回数を証明して公認先達になろうという意思はないので、3巡目に入るにあたり、もうこれ以上納経する意義はないと判断した。もっとも別格納経帳は持っている。別格をきちんと回るのは初めてなので、今回だけは「スタンプラリー」をやる。

    「納経しない」と心を決めてみると、今まで以上に「お勤め」の質が問われると思った。納経帳を持って回れば「納経」が札所での必須の手続きとなる。お勤めをどんなに簡単に済ませても「納経」は省略できない。ところが納経しないとすれば、お勤めだけが残る。誰が評価するわけでもないが、まじめにやらねば自分の気が済まない。お勤めに心を込めなければ、遍路でなく遍路風ハイキングになってしまう。僕には、たぶん正統的な信仰心などないはずなのに、今まで以上に真剣に読経し、真言を唱える自分がいた。

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