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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2004年春

お気をつけて

    22番平等寺門前、文字通り「8秒8歩」(宿の宣伝看板より)の山茶花は、僕を入れて同宿者5名だった。

    先着は、恩山寺下の民宿で同宿となった高松のNさん。僕より3歳も若いのにもう仕事はリタイヤして悠々自適で、何ともうらやましい身分だ。明日は行けるところまで行くという。キャップさんとは、ふだらく峠の下りで追いついたあと、大体一緒に歩いてきて同着。沖縄のKさんも、悩んだ末に結局峠越えをしてきたという。そして一番遅く着いたのが大阪の50代女性Kさんだ。山越えでだいぶ疲れている様子。

    ほかに、近くの善根宿にお世話になるという若者二人が、食事をしていた。一人は立江寺で、野宿明けでシュラフを干しているところに出会った青年。サンダルで歩いており「通気性抜群。濡れてもすぐ乾く。これが究極のゴア」とのこと。もう一人は、穴禅定で入れ違いになった青年僧だった。大阪の女性Kさんは「プロに教えてもらえるいい機会」と喜んで、彼に読経の仕方などを熱心に尋ねていた。

    5月8日(土)

    最終日、残す札所は約20キロ先の23番薬王寺のみである。過去2回は最短ルートをとり、山の中の国道55号を延々と歩いた。今回は、少し遠回りになるが、初めて由岐経由で歩いてみることにした。海沿いなので景色の変化も期待できる。

    平等寺から1時間あまりの番外霊場・弥谷観音にも寄ってみた。途中の遍路道は風情のある区間もあったが、元の観音堂はダムに水没のため、近くの高台に別に新築されていて、無住でもありつまらない。しかし、トイレのある駐車場のフェンスからは、湖面をはさんで55号線のヘンロ小屋・第4号【鉦打】がはるかに望める。その前を白装束の遍路が次々に通り過ぎるのが見えた。顔も判別できない距離ではあるが、「あれは○○さんかな」などと想像しながら、しばし休憩した。

    宿の出発はバラバラだったが、同じ由岐回りコースを歩いた、沖縄のKさん、キャップさんと3人で団子になって15時過ぎに薬王寺に着いた。55号から行くと道の右側に薬王寺を見ることになるが、由岐回りでは山門の正面からアプローチしていく。沖縄のKさんが、「1番霊山寺に着いたときと感じが似ていますね」。僕もこの方向から到着するのは初めてだったが、阿波最後の札所、打ち止めの札所への着き方としては、この正面からのアプローチがなかなかいいと思った。

    時間があるし、汗まみれの体で夜行バスに乗るのも気が進まないので、ホテル千羽の温泉に汗を流しに行った。遍路青年2人も入浴に来ている。一人はあの僧だ。親戚にお寺がある関係でお坊さんの修行をしたが、僧として人生を送るべきなのかどうか未だに迷っているという。それを見極めるための遍路でもあろう。まだ旅は4分の1だが、この1週間のお寺の人々との触れ合いを通じて、自分なりに思うところもあるらしい。

    もう一人は、55号と由岐回りの分岐点で初めて出会った体格の良い青年で、顔が真っ黒だ。「1週間でそんなに焼ける? もともと黒いんだろ」と疑ったら、「本当は色白なんですよ」とシャツをめくって見せてくれた。荷物は20キロを越すという。親に「絶対無理だ」と言われて出てきたので「絶対やってやる」という決意だ。善根宿のリストも知っているが、「他の人が泊まる余地を占有したくない」ので、自分はなるべくテント泊しているという。

    二人とも通し打ちだから、順調に行けば、これを書いている今、結願する頃だ。元気に歩き続けただろうか。

    ホテルを出ると、昼間は観光地の雰囲気で賑やかだった薬王寺門前も、みんな店じまいしていて暗く寂しい。最後の晩餐は、ようやく見つけたホカ弁を駅の待合室で食べるというわびしい結末となった。

    同じく徳島駅から夜行バスで帰京するキャップさんと、JR牟岐線で徳島に戻る。特急なら1時間だが各駅停車は時間待ちも多く2時間かかる。「お遍路に行く」と言うと友達や職場の人から尋ねられたそうだ。「なぜ、どうして?」。ただし「なぜお遍路に?」ではなく、「なぜ一人で?」。確かにスキーやサーフィンに行くのに「なぜ行くのか」と問う人はいない。同じように遍路も、そのこと自体の理由を問うほど特別なことではなくなってきたということなのだろうか。

      「初めの1〜2日、結願してお礼参りに帰ってくる人と何度もすれちがいました。『お気をつけて』と声をかけられても、その頃はまだあいさつを返す心の余裕もなかったです。毎日歩いているうちに、だんだんと自分も他のお遍路さんに『お気をつけて』と自然に声をかけることができるようになりました。」

    今の時代、ガイドブックなど情報は豊富だし、四国への交通機関も整備された。だから時間とお金と健康があれば「お遍路に行く」ことは簡単だ。でも毎日歩き、人と出会うことを通じて、少しずつ「お遍路さんになる」のかも知れない。

    彼女のバスは21時30分発の品川行き、僕は22時12分発の東京行き。「いつかまた四国で会いましょう」と(はかな)い約束をし「それでは、お気をつけて」と最後の挨拶を交わしたのだった。

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