掬水へんろ館遍路日記第2期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第2期くしまひろし

第7日(8月2日) 29番〜32番

水田
水田
きのう「ひじり」で買っておいたパンで朝食を済ませ、5:40出発。フロントの女性の「言うほどややこしくありません」を信じて歩く。田植え直後の田んぼと稲刈り寸前の田んぼが隣り合っている珍しい光景に遭遇。二期作だろう。

方向はあっているはずだが、へんろ饅頭の付近で、本来の28番から来るルートに合流するはずがうまく行かない。この付近は住宅と水田と工場が入り交じって道路が交錯しており、早朝のこととて通行人もいない。僕はクルマを運転しないのでかなりの方向音痴の上に、特に今日は、頼りの「同行二人」のコースからはずれた歩き方をしているのでどんどん不安になってくる。折角早起きして来たのに時間が過ぎていくなあとあせり始めたところに、ショッピングバッグを引っ張ったオバサンが路地から出てきて、国分寺への道を教えてもらうことができた。

悟りへの一歩?

国分寺
第29番 国分寺
7:00 29番国分寺着。途中少し迷ったが、お寺の納経所は7時にならないと開かないので、お寺に7時までに着いたということはまあ満足すべき状況ということである。

早朝の境内で、一人般若心経を唱える。いつもは回りに誰かいるので自然と小声になり、恥ずかしいのでどんどん速くなってしまう。今日は僕一人なのて、ゆっくりと大声で唱えた。わずか1〜2分の読経の間に一気に異界に没入するような感覚に陥る。周りの森で鳴くせみの声が一段と濃くなる。世界に自分一人という感じ。自分が宇宙の中心のような気がする。コザキさんの感じた「気」とはこういう種類のものなのだろうか。読経の快感というのを味わった。

納経所を終えると坊さんらしい学生風の若者がやってきた。開いたザックの口から金鳥蚊取り線香の箱がのぞいている。野宿で歩いているのかも知れない。話してみたいと思って境内のベンチで待っていたが、いつの間にか出て行ってしまったようだ。また後の札所で出会うかもしれないと思ったが、結局この後は出会うことはなかった。

7:30発

善楽寺〜高知市内へ

善楽寺
第30番 善楽寺
ここでも道を間違えてしまった。「同行二人」と首っ引き歩いて来た積もりなのに、ふと気がつくと、車道の善楽寺を示す標識が僕の歩く方向と逆を向いている。僕は間違いの原因を発見しないとどうも納得いかない質だが、そんなことを詮索しているヒマはない。とにかく標識通りに進んでようやく9:30 30番善楽寺着。 ここでは自転車で巡拝中の若者を見かけた。10:00発。

非人間的な道
歩行者を拒否する道
善楽寺を出て土讃本線の踏切を渡ったあたりから水田の中の車道を歩くが、ここの路肩は大変狭く10センチぐらいしかないところもあり、車はビュンビュン通り過ぎるので非常に怖かった。こんな歩行者用無視の道路はきらいだ。歩行者用の余地が確保できないのなら白線は引くべきでないと思う。

テニスコートなどを備えた公共の宿泊施設「サンピア高知」を左に見てどんどん南進し、サンピア通りの信号を渡った所で何を勘違いしたか90度ずれた方向に歩いてしまう。東に500メートルぐらいいってハッと気づき、田んぼの畦道をジクザクに歩いて本来のコースに復帰した。どうも今日はたるんでいる。早朝の没入体験で感覚が現実感を喪失しているのだろうか。

この付近は開発中の模様で、「同行二人」の地図では水田しかないようだが、実際は太い道路が走り高知美術館が出来ている。炎天下、バス停で休憩。屋根はあるが半透明なのであまり日陰にならない。朝食が早かったので空腹感でバテる。残しておいたパンを思い出し腹に入れると元気が出た。単純なものだ。

11:45、31番竹林寺登り口付近に到着。喫茶店「ごだいさん」で昼食。カウンタでコーヒーを飲んでいる若い女性と30代位の男性、そしてソファ席で新聞を読んでいる年配の男性は、連れではないが常連さんのようである。お互いに話をしながらチラチラとこちらを見るので何となく落ち着かない。でも、出てきたざるそばは、喫茶店にしては大変美味であった。

あこがれのところてん

竹林寺
第31番 竹林寺
竹林寺は、五台山の中腹にあり、頂上の公園まで車道が通じている。初め遍路道を登り始めたが、直ぐに新しくできたらしい車道に出てしまい、次の入り口が分からない。それらしい細道を見つけて入っていくと単に墓地に通じているだけで行き止まりだったりした。あきらめて車道を歩いているとまた下りになったりして心に迷いが生じるが何とか12:40に31番竹林寺着。

後でカタネさんに聞いたところによると、カタネさん親子はずっと遍路道を探し探し登っていったが途中で道を見失い、アブに追いかけられて逃げまどい、40分もさまよったあげくついに携帯電話でお寺にSOS。でもお寺も人手がないので助けには来てくれず、何とか自力で脱出したものの、今回の遍路で最悪の体験だったとのこと。

門前の売店で、水分を補給し、とくます以来気になっていたところてんを食べる。店のおばさんが、扇風機を向けなおして僕に風が当たるようにしてくれる。ところてんは生まれてから数えるほどしか食べたことはないが、ふんだんな薬味と酸味とで体の芯から元気が出た心持ちになった。

へんろ橋
へんろ橋
次の禅師峰寺へは下田川沿いに歩く。へんろ橋という橋があった。昔は自分の畑に行く以外は外出の用事もなく、この橋を渡る必要があったのはお遍路さんぐらいだったのかも知れない。

道路脇の水田で機械で稲刈りをしている夫婦がいた。ここへ来るまで何度も収穫直前の水田を見たので、聞いてみた。

「二期作なんですか。」
「ここらは今は二期作はやってないんですよ。秋になると台風が来るんでね、早めに収穫するんです。」

そうすると、今朝見た田植え直後の水田は例外なのかもしれない。

禅師峰寺
第32番 禅師峰寺
15:20 32番禅師峰寺着。15:50発。

第1期の区切り打ちのときは、一つのお寺で過ごす時間はせいぜい10分程度だった。賽銭と納札を入れ、手を合わせるだけだった。今回は、暑さのため休憩が必要なこと、きちんと灯明と線香を上げ、般若心経を読経していることなどから大体30分かかっている。別に時計を見ながら「そろそろ出発」などとやっているわけではないのだが、あとでメモを見てみると、それぞれのお寺にいた時間は大体コンスタントに30分になっている。

交通情報

きょう予定のお寺は全部打ち終わり、次の雪蹊寺への中間地点にある仁井田というところで宿泊する予定である。ここには旅館が数軒かたまっている。朝から道順のミス続きなので保存会の標識やへんろシールを見逃すまいときょろきょろ歩く。室戸近辺の国道沿いにはあまりこうした標識やシールは見当たらなかったが(国道の一本道だから不要)、この辺にはあるべきところに標識がある。後ろから自転車に乗って通りかかったおじさんが話しかけてきた。犬2頭の綱を引いて散歩中である。

犬の散歩のおじさんの話

雪蹊寺に行くの? うん、この道をずっと行って渡しに乗るんだが、9月末まで渡し船はやってないよ。修理中で運休。でも大丈夫。渡しの待合所で待ってると無料のバスが来る…うん、確か無料だと思ったな。橋を渡って向こう岸の船着場で下ろしてくれる。

仁井田でお勧めの旅館? さあどうかな。「みゆき」っていうのがあるよ。友達の妹がやってるんだ。いいかどうかは知らん。俺は泊まったことないから。

バスかあ。昔から遍路がこの渡しを利用していたらしく、「同行二人」の本には「渡しは本来のへんろみちである」などとわざわざ断って歩き遍路に許容される乗物として示してある。当然、僕もこの渡しを利用する積もりでいた。バスに乗っても船着場から船着場まで乗るんだから、渡し船と等価と言えば等価なけどなあ。それしか方法がないのならともかく、現代は橋が出来ていて歩いて行けるんだからなあ…などと考えていると、そこへ自転車に乗ったおじさんがもう一人登場。

もう一人のおじさんの話

きのうもあんたみたいな恰好した人が2人歩いてきたよ。道教えてやったんだ。

この二人というのは、きっと神峯寺でクボタさんと歩いていた男性だと思う。おととい、夜須町か野市町あたりまで(三十五〜四十キロ)歩いて僕より一日先行しているに違いない。クボタさんたちはどうしただろうか。渡しが動いていないことを知ったら少し遠回りになるけど、浦戸大橋を歩いて渡ったかも知れない。僕も予め知った以上は純潔を守って歩くべきか。予め知らせるべくお大師様が犬の散歩のおじさんを遣わしたのであろうか。

宿探し

17:15 仁井田着。今晩の宿は予約していない。犬の散歩のおじさんの言っていた「民宿みゆき」というのは色々な人の紀行文に出てくる宿で、評判がいい。でもなぜかこの日は僕はあまのじゃくモードになっていた。他の人のあまり泊まっていない宿に泊まってやろう。それに普段は何でも予約しておかないと安心できない性格なのだが、遍路のときぐらい、旅館の現物を見比べて良さそうなところに決めるという非日常を一度やってみたかったのだ。

まず「同行二人」に出ている菊水旅館というのを探した。僕のホームページは「掬水の果て」というのだから、まず菊水をトライしない手はないだろう。ところが、それらしい所を見回しても旅館は見当たらない。ちょうど民家の勝手口からゴミを出しにきた人に聞いてみると「菊水」という旅館は以前はあったが今は営業していないという。

次に、新橋屋旅館というところへ行ってみた。玄関を開けるとキャラバンシューズが4〜5足並んでいる。お、これはもしかしたら、未知の歩き遍路の人に会えるかもしれないと心が弾む。ところが、「ごめんください」と声をかけてしばらくして出てきたおかみさんは気の毒そうに、「部屋はあるが今からでは食事が用意できない」という。そりゃそうだ。遍路宿の常識から言えば普通ならもう夕食の始まる時刻だ。予約しないで来るんだったら3時過ぎには到着すべきだったと思い知る。

新橋屋旅館の並びにあの民宿みゆきがある。心が動くが、「初志貫徹!」と他の宿を探す。次に行った海老庄旅館は料理屋と兼業である。ここなら食事が本職なんだから食事ができないということはないだろうと読む。店の裏手にある宿泊専用という玄関でインタホンのチャイムを鳴らすと、おねえさんがトントンと階段を下りて来て、泊まれるというし、値段も納得価格なのでここに決める。

海老庄旅館

早速2階の客室に入ってガンガン冷房をかけて一息つく。お客は工事関係の人が多いようだ。風呂に入っていると後から入って来た筋肉隆々の刺青のおじさんがじろりと睨む。でもこっちもひげぼうぼうだから、正体不明でいい勝負なのでは?

食事は2階の食堂で他のお客と一緒に食べる。さすがに料理屋だけあって、刺し身、てんぷら、鶏のから揚げがついてボリュームたっぷりである。鶏は2本足だから食べてもいいのかな。でも結局食べきれないので「疑わしい」から揚げは残すことにする。さっきのおねえさんが給仕してくれて、食事が終わると宿帳を持ってきた。本式の宿帳は第1期2日目のたみや旅館以来である。ぱらぱらとめくって見ると、やはり数人まとめて「○○工業」という風な記載が多く、仕事関係で連泊しているお客が大部分のようだ。

地図を検討し、当初の計画を変更して浦戸大橋を歩くルートを行くことにした。明日は最終日である。ルートと所要時間と高知に戻る交通機関を確認して、今回は35番で区切ることとする。午後あまり遅くない高知発の飛行機に乗れるだろう。

歩数 ?(記録もれ)・30.5キロ

掬水へんろ館遍路日記第2期前日翌日談話室