掬水へんろ館目次前次談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2001年夏

6日目(8月9日)、小田町のふじや旅館を5時半に出て、新真弓トンネルを抜け、国道33号に出たときには9時半だった。今日の昼食の手当てがついてない。菓子パンが若干あるのだがこれを食べてしまうと明日の朝食がない。ドライブイン木古里に入ってみた。食事はまだ出せないが、モーニングならできるという。500円で厚切りトーストにコーヒーとジュース、サラダ、それに白身魚のフライまでついた立派な献立であった。おまけに店の主人が「暑いでしょう」と、冷たい梅酒を1杯ふるまって下さった。天井の高い広い店内でお客は僕一人、早めの昼食をとり、ぜいたくなひとときを堪能した。

槙谷から岩屋寺への山道を登り始めると突然の雨。今回初めての雨だ。林の中で激しくふる雨は、暑さにほてる体に心地よく、回りの空気がすーっと清められる気配である。

だが悠長なことを言ってる場合じゃない。急いでカッパを出し、菅笠にビニールカバーをかぶせて雨天モードに切り換えた。山道をすべらないようにゆっくり登っていくうちに雨は30分ほどで上がった。山林から出て眺望の広がる八丁坂茶店跡に着くころには、再び太陽が照りつけていた。

岩屋寺に着いたのは2時過ぎ。雨中の山歩きの疲労と空腹でベンチにへたりこみ、とりあえずザックをかき回して発見したスナック菓子をボリボリ食べていると、「四国へんろ」編集部のカメラマンの菅原功次さんが、小柄な体に大きな機材をいっぱいぶらさげて登場した。今日、取材を受ける約束になっているのだ。「下の駐車場で」という予定だったのだが待ちかねて登って来たらしい。「相棒が下でへばっているから今連れてきます」と引き返して、しばらくすると体格のよい執筆担当の増田隆さんが登場した。お互い初対面のあいさつをかわし、さてインタビュー、というところで、また雨が降り出した。

大師堂の屋根の下に移動して増田さんと話す。菅原さんは、しきりにシャッターを切る。

一緒に山門まで下り、車のお二人と別れて今晩の宿、国民宿舎古岩屋荘に向かった。1巡目の際には満室で泊まれなかったのだが、今回は着いてみると予約は4組だけで、空いていた。

7日目(8月10日)は、道後温泉に泊まるので、2日続きの温泉だ。36.4キロ、今回一番の長丁場である。だが山道は三坂峠からの下りだけで、後半は町の中であるから水分の確保にも問題がない。ただ、5時までに道後の51番石手寺に着けるかという時間の問題がある。

5時10分に古岩屋荘を出発、久万高原の、まだ交通量も少ない県道を44番太宝寺まで思い切り飛ばした。また雨が降り出した。朝から濡れ鼠じゃかなわない。バス停小屋に入り込んで、カッパを着る。

太宝寺まで、計算では6.1キロのはずだったが、太宝寺の近くに「古岩屋荘まで8キロ」と表示があった。「同行二人」のこの付近の記載距離は要注意だ。結局、太宝寺に着いたのは6時55分で、お参りをしている間に納経所が開いた。

久万町に下り、三坂峠までは国道をゆるやかに登る。三坂峠からの下りの山道はよく手入れされていて歩き易かった。

46番浄瑠璃寺では、ご住職と覚しき老僧が自ら納経して下さり、納経帳を捧げるように返して下さった。納経所の前には冷水器が設置してあって自由に飲めるようになっている。ありがたいことである。

老僧が「昨夜はどちらにお泊まりで」と聞く。古岩屋荘と答えると、「あちらでは雨はいかがでしたかな」と聞く。昨日の岩屋寺への登り、そして今朝も雨にあったと答えると「旅のお方には雨は難儀じゃろうが、こちらでは少しも降らんで困ったことじゃ」という。

こんなちょっとした会話が遍路にはうれしい。この日、道後までどの札所も納経所は丁寧で、何カ所かには冷水器があり、「やはり愛媛は遍路を大事にする国柄じゃわい」との思いを強くしたのであった。

次へ
[四国遍路ひとり歩き(2001年夏)] 目次に戻るCopyright (C)2001 くしまひろし