掬水へんろ館目次前次談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2001年夏

桃・梨

5日目(8月8日)、今日は、十夜ガ橋の先でお接待所を開いている亀岡那美ちゃんと会う約束になっている。3年前の5月、国道沿いのこのお接待所に感激してホームページの遍路日記に写真を載せ、さらにあまのじゃく旅日記の戸澤淳さんが亀岡さんのご一家と懇意にしていることを知って、お手紙を送ったりしていた。

3月に妻が歩くときに、「ぜひこのお接待所に寄って、できればお礼を言ってくるように」と頼んでおいたのだが、妻が帰宅して言うには「注意して歩いたが全然みつからなかった」というのである。

そのことを亀岡さんにメールしたら、「どうして事前に教えてくれなかったのか」と叱られてしまった。そして判明したことは、

ということである。これで妻が見つけられなかった理由が分かった。

朝7時の約束であったが、宿が大洲の中心より手前であったためか十夜が橋まで意外に時間を食ってしまい、お接待所のある「亀岡モータース」に着いたのは7時半になっていた。初対面の那美ちゃん(中1)とお母さんの茂みさんに、さっそく会社の事務所に招き入れられ、あたたかいもてなしを受けて恐縮してしまった。特に、冷たく冷えた桃は、僕にとって今年初めての桃で、口の中に甘く広がり、朝のひと運動のあとの渇きに心地よかった。

このお接待所は、もともと那美ちゃんが夏休みの宿題で育てたアサガオの種を全国のお遍路さんに持ち帰って育ててもらおうと敷地の一角に種を入れた缶をおいたのが始まりだそうだ。今では、車のショウルームの一角を利用した立派なコーナーとなり、クーラーボックスの中にジュースなども置いてある。お父さんやお兄さんも協力してくれる。

見せて頂いたファイルには、全国の遍路から送られた手紙などがきちんと整理してあった。僕が3年前においた納札(「47歳」と書いてある)もしっかり確認できた。持ち帰ったアサガオの種が今も咲き続けているというハワイからの便りもあるという。那美ちゃんと茂みさんは全国に、そして海外の遍路にも感謝の輪を広げているのである。

「お接待」というと高齢の女性が中心との印象があるが、こうして新しい形で若い世代に引き継がれていく。

内子の町は、笹祭りで賑わっていた。僕の育った仙台の大規模な七夕に似て、商店街に自慢の笹飾りが両側から飾られ、通りにおかれた床几には氷柱やスイカが飾られて雰囲気を盛り上げている。カメラを構える観光客の間を歩いていくと、何となく心浮き立つ感じだった。

内子の賑わいを離れ、県道を小田町に向かって歩いていく途中、「地方発送」ののぼりを立てて桃や梨を売る店が目立った。その中の1軒、上田ナツ子さんが「お遍路さん、桃を持っていかんかね。梨もあるよ」と呼びとめてくれた。ありがたく頂戴し、梨はナイフを借りてその場で頂いた。乾いた喉に甘い果汁たっぷりの梨を2個もたいらげた。上田さんは、ここで、収穫した桃や梨の箱詰め作業をしているのであるが、お遍路さんには有名な方らしい。壁には納札がたくさん貼ってあった。秋になると柿をお接待するのだという。

今回の夏遍路では、このように地の恵みのお接待を終始ふんだんに頂くことになり、感謝でいっぱいだ。このあと泊まった古岩屋荘では、食堂に久万特産の完熟トマトが氷水につけて冷やしてあり食べ放題だった。トマト好きの僕としては、これも大感激。

次へ
[四国遍路ひとり歩き(2001年夏)] 目次に戻るCopyright (C)2001 くしまひろし