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掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2001年夏

宿

2日目(8月5日)は、津島町岩松の三好旅館に泊まった。初日に泊まった岡本旅館と同様、料理屋が本業の宿である。古い建物で、ここに泊まるのは1巡目に次いで2回目だ。宿をおばあちゃんが仕切っていて、客を迎えるのも部屋に案内するのも全部自分でやっている。腰が90度に曲がっているのに、階段をすいすいと昇り降りする。

この日、お客は僕ひとりだった。食事は料亭兼用の別館の一室でいただく。豪華な宴会料理である。遍路中は禁酒と決めているのが悔しくなる。食事が終わると、おばあちゃんが「お口に合いましたか」とわざわざ尋ねてくれる。食事は豪華だが、料金は他の遍路宿と変わらない。その料金の精算もすべておばあちゃんが仕切っている。

僕は2回目だし、3月には妻もお世話になっているので、おばあちゃんの写真を撮らせて頂こうとカメラを向けたら「いやん。もう年寄りだから」と恥ずかしがって、とてもお年寄りとは思えない素早さで駆け出して廊下を曲がって隠れてしまった。

3日目(8月6日)は、42番仏木寺から歩いて数分のとうべやに泊まった。ここは1998年に出来た新しい民宿である。この先、歯長峠を越えて43番明石寺近くまで8キロぐらい宿がないので、ありがたいことである。

3年前に泊まったときには、神戸からUターンした御夫婦が宿を開いたばかりのところであった。その後、経営者が変わり、現在は創業者の叔父にあたる方が経営している。近くに住むオバサンが手伝いにやってきて、二人でもてなしてくれる温かい宿である。

食卓にはオバサン心尽くしの山菜がたくさん並び、とかく野菜不足になりがちな遍路にとってありがたいメニューだ。そのうえ、大きな鰻までついている。「今日はうなぎを食べる日だ」という。帰って調べてみると確かにこの日は今年2回目の土用の丑の日にあたっていた。

僕は禁酒しているのに、オジサンとオバサンはビールを酌み交わして盛り上がっている。なんとも家族的な宿である。この日も、お客は僕ひとりだった。

4日目(8月7日)は、大洲の入口にある寿旅館にお世話になった。72歳のおかみさんが一人で経営している。予約の電話をしたら「ご年配は?」と尋ねられた。性別や年齢層によって、食事のメニューをきめ細かくくふうしているようだ。

「最近は予約しても来ない遍路がいたり、予約したときと人数が違っていたりして、こちらがボケはじめたのかと心配になる」という。でもよく確認してみるとお客の方が旅館のリストを1行読み間違えていたり、電話連絡の勘違いだったことが分かるという。

寿旅館でも、お客は僕ひとりだった。

宿の経営形態は一様ではない。三好旅館のような宿は従業員も多くいて大規模であり、宿だけではないので料理屋として経営は安定しているように見える。しかし、遍路宿の中にはこの寿旅館のように高齢のおかみさんがひとりで切り回しているところも多い。予約があったらその分だけ食材を仕入れて準備するのだ。無断キャンセルのダメージは計り知れない。

こうした遍路宿では「自分の代限り」とおっしゃるおかみさんが多い。後継者もなくだんだんと消滅していくのだろうと心配になる。「へんろみち保存協力会」の宿泊施設一覧表に載っていても、電話してみると「もう廃業しました。」と言われることも少なくない。

消えていく宿があれば、前夜のとうべやのように新しく生まれる宿もある。千年以上続く四国遍路である。今後も、歩き遍路のためのインフラが崩壊することはないと信じたい。

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