掬水へんろ館目次前次談話室メール
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 2001年夏

ミカン

2日目(8月5日)、柏坂遍路道の山道に入る前に、500ccのペットボトルを満タンにしておいた。だが、体は水をほしがり、柳水大師で昼食のおにぎりを流し込むのに大半を飲んでしまった。最近の晴天続きのせいか、途中の水場も、柳水大師も水はすっかり枯れていた。

このあとの尾根歩きは、「牛の背」とか「馬の背」とか面白い地名が続き、よく手入れされていて歩きやすい部分だが、すぐに喉の渇きが襲ってくる。峠から国道までのちょうど中間地点にあたり「茶堂」まで降りて、気を許し5分の1ぐらい残して飲み干してしまった。

だがそのあとも長い。国道に出るまで水はないのだろうか。ようやく民家があった。縁側にオジサンが寝ころがってテレビを見ている。「こんにちは」と声をかけて通るが気にする様子もない。庭ではオバサンが何か仕事をしているが、こちらに気づいたそぶりもない。「水を」と言いだせる雰囲気ではなかった。

歩きながら、頭の中に自動販売機の冷たい爽健美茶の缶を夢想しながら、どんどん下山していくと、ビニールハウスの脇に小型トラックを止めて、夫婦が農作業の手を休めていた。

奥さんが「ちょっとちょっとお遍路さん、ジュースを飲んでいきなさい。ちょっと待っててな」という。そして持って来たのが、きんきんに冷えた缶ジュースだ。「うちでとれたみかんで作った百パーセントのジュース」という。

一口飲んで「うはーっ」とため息が出る。うまい! これだけ喉が乾いていれば何を飲んでも満足したろうが、本当に美味だった。続いて、「獲りたてだよ」といってハウスみかんを3〜4個、収穫した中から分けてくれた。直径3〜4センチほどのみかんは、収穫後もハウスの中におかれていたため、中の果汁は熱いくらいである。それなのに口の中に広がる甘さは何ということだろう。

この宮本香代子さんは、お遍路さんが通ったら、かならずこうして自分たちの作物をお接待しているのだという。でも、中で作業していたら気づかないこともあるし、結局は縁だね…という。記念写真を撮って納札を差し上げた。そうしたら尋ねる前から「私の住所も言うておかんとな。写真送ってもらわないかんから」という。慣れたものである。これまでも全国から来た歩き遍路たちとこうして縁を結んでこられたのだ。「自分たちはなかなかお参りに行けないけど、こうやって全国のお遍路さんと会えるから楽しい」とおっしゃる。

「こんな夏でも必ず1日に何人かは通る」といったお話を伺っているうちに「さっき24歳の女の子が通った」という。「若い女の子」と聞くと目の色が変わるのが僕らオジサンの悲しい性(さが)だ。いや、別にナンパしようとかヨコシマな心を抱いているわけではない。だが、オジサン遍路よりは、ギャル遍路とお話する方が楽しいではないか。

でも、よく聞くと彼女が通ったのは10時ごろだという。現在、もう2時過ぎだ。4時間も離れていると、追いつくのは無理だ。それに今日は宇和島まで行くと言っていたそうだ。僕は、ずっと手前の津島町岩松泊まり。所詮、縁がないということか。

でもこの1週間の間には行程が交差することだってあるかもしれない。2001年猛暑のこの同じときにお四国を、それもすぐ近くを歩いている24歳ギャル遍路と何とかめぐり合いたいものだと思った。

次へ
[四国遍路ひとり歩き(2001年夏)] 目次に戻るCopyright (C)2001 くしまひろし