掬水へんろ館遍路の本談話室メール
掬水へんろ館四國遍路記

橋本徹馬四國遍路記 (紫雲荘出版部,1950年)
本体価格 200円, ISBN

 1941年に著者が郷里(愛媛県西条市)近くの前神寺から始めた遍路の日記です。バス、汽車、船などを利用し、仙龍寺、慈眼寺(鶴林寺奥之院)などの奥之院にもお参りしながら30日ほどかけて結願しています。奥之院にわざわざ一日かけて行くのは容易な問題ではないが、慈眼寺にはそれだけの価値があるといっており、先を急ぐ駆け足遍路には耳の痛い話です。セメント会社に売られ、つぶされ、消滅した太龍寺の奥之院である太龍窟へもお参りしており、太龍窟を知る貴重な記録になっています。
 この著は戦前の宿、遍路の人、交通事情など遍路の一端がうかがえる資料として読むこともできます。宿に泊まるときに、「木賃にするか」と聞かれ、「木賃、旅籠どちらでもよい」と答えたり、宿や遍路途中で職業遍路、乞食遍路や胡散臭い遍路に出会ったりもします。当時はまだ渡し舟で対岸へ渡っていた川も多く(13番大日寺近くの鮎喰川、鶴林寺と太龍寺の間の那賀川、28番大日寺近くの物部川など)、鮎喰川で増水により川止めにあった著者は、昔の大井川でもあるまいしと憤っています。渡し賃をふっかける渡し場や渡り賃をとる橋もあったようで、今では考えられないような苦労がしのばれます。宇佐から横浪三里を湾の奥まで進む渡し、土佐佐賀や土佐清水から足摺へ向かう船、長崎(観自在寺の西)から宇和島へ行く船など、西土佐から南予にかけての地域は陸上交通の難所で、船が重要な交通手段であったこともわかります。
 気になるところを二つ記しておきます。一つは土佐・伊予の国境である松尾峠と柏坂の峠越えです。これらの道は現在「四国の道」として整備され、歩いて越えるようになっていますが、この著では、自動車で越えて行ったと読み取れるような記述になっています。これらの道は江戸時代以来の街道で、1920年代の地形図では県道(幅員は不明)として表記されており、国道56号線が整備されるまでは、地域を結ぶ主要な街道でした。道の付け替えがあったのかもしれませんが、あの峠道を自動車が越えて行ったとにわかに信じがたいのですが…
 もう一つは寺の読み方です。寺名には振り仮名がうってあります。現在藤井寺を除いては「寺」を「じ」と読んでいます。しかし、この著では「でら」と振り仮名をつけている寺がいくつかあります。今とは違う読み方をしている寺もあります(例えば、津照寺を「つしょうでら」、神峯寺を「こうぶじ」、神恵院を「しんけいいん」など)。単なる著者の読み癖、著者の読み違えでしょうか。

投稿者: 北摂山系お伴の旅人

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