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司法のしゃべりすぎ
井上薫司法のしゃべりすぎ (新潮文庫,2005年)
ISBN4-10-610103-3

出張中の暇つぶしにふと駅の書店で平積みになっているのを目にして買った本です。少し前のニュースで「最高裁の下級裁判所裁判官指名諮問委員会が189人中4人の再任を「不適当」と答申した」と伝え、その中の一人の理由が「判決文が短すぎるとして問題になった」とあったので、この本の著者の井上薫という判事の名前が何となく記憶に残っていたのです。

著者の主張は、主文(「被告は無罪」とか「被告を懲役10年に処す」)を導くのに必要のない論点について、時間とコストをかけて審理したり判決理由に記したりする必要はないという点にあります。例えば、A(被告が人を殺した)という事実認定とB(時効が成立していない)という法的な条件の両方を満たして主文が導かれるときに、Bが満たされない(すでに時効が成立している)ことが明らかであればA(被告が人を殺したか否か)について審理する必要はないし、判決理由に記す必要はないということです。

著者略歴を見ると、東大理学部出身なので、なるほどと思いました。前述の論理は典型的な理科系の考え方です。「A and B」という論理式があってBが偽ならば、Aの真偽を検討するまでもなく全体が偽だからです。

僕も理科系出身ですが、就職してからしばらく某大学の法学部の通信教育部に在学していたことがあります。法学部の答案では、上記のような場合、きちんとAとBの論点すべてについてそれぞれ検討し、最後に「A and B」という論理をあてはめて結論を出すのが常道です。まあ、記述式の答案としてはたくさん書いておけば多少でも点がとれるという計算もあるでしょう。おそらく、多くの裁判官はこのような答案スタイル、ひいては法学書のスタイルを踏襲して審理を行い判決理由を書いているのでしょう。

原告・被告双方の主張について、たとえ結論を左右する部分でなくても十分に検討を加えることは、当事者の納得性を高める意味もあり、悪いことではないように見えます。

しかし、著者は判決理由における不必要な記述の弊害のいくつかを本書を通じて明らかにしています。上記の例で言えば、「被告は人を殺したが、時効が成立している」(判決理由)から「無罪」(主文)という判決を書かれてしまうと、被告は無罪である以上、上告できなくなり「人を殺した」という部分について、裁判でこれ以上争うことができなくなるというわけです。

実際に井上判事が書いている短い判決理由というものを読んだことはないので、再任を拒否されるほどの過激な仕事をしておられるのかどうかは分かりませんが、少なくとも本書を読む限りは、著者の主張は説得力のあるものと感じました。

〔広 告〕
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